「みのたけ」の 教育・投資・生活etc

みのたけ中年の趣味用雑記メモ(非収益化ブログ)。倹約と投資で労働から卒業した隠居生活者。投資歴は20年ほど。

教育備忘録(IB)9月7日 【読者100人】

  

 

子どもたちの将来の幸せのための教育

幸せな人生のため

 

 

そのためには適応力(変化できる=学び続けられる)が必要

 

 

考える力←知識でなく学び方を教える

 

 

使える知識(本物の知恵)

・社会の役に立つか?

・自分の役に立つか?

✖使えない知識(ただの暗記情報)

 

そのために

✖網羅的暗記学習

1点集中の深い学びで、考える体験を積み重ねていく

 

 

概念と技術

概念について考える。概念を細分化する。例:「考える」とは?

学ぶことの習慣化。暗記力をはかる定期テストで評価するのではなく、日々のレポートやプレゼンなどで評価し続ける

 

 

別件

日本では、個人より社会が「上」にあって、個人が「あるがまま」でいるのが難しい。by Panto Francesco 医師(伊)

 

 

 

魚が先か、釣りが先か (長文すみません)

 

 

まず、この本『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』は「目から鱗」の良書なので、教育者でない人も読んでみてください。社会や教育というのは実に多様で、今の日本社会や教育について「!?」と思えるはずです。外国を知って初めて母国について深く考えたり気づいたりするのと同じ。他国の教育を知ると自国が見えてきます。

 ↓

スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む: 日本の大学生は何を感じたのか

スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む: 日本の大学生は何を感じたのか

 

 

簡単に内容が知りたい方は、過去に私が要点のみをまとめた記事をご覧ください。

apapoyo.hatenablog.jp

 

 

 

会社経営者の友人と教育についてSNSのコメント欄でやりとりしている中で、上記『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』を私が彼に薦め議論がさらに発展していった。

 

※自分にとっても有意義なやりとりだったので、一部を修正加筆してまとめてみました。以下

 

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【友】=友人のコメント

【私】= 私のコメント

 

 

友:おれが思うところでは、自分を含めて、日本人は、自己主張を言葉で明確にすることは苦手な人が多い気がするけど、諸外国と比べて、誰かに従いたい気持ちが強いとか、自律性や自主性がない、というわけではない、気がする。単に、各組織のマネジメントのあり方が違うだけで、日本人だから、ということは特段ないような気がする。気がするだけやけどね。。。

 

 

私:そうだね。君の意見に大部分同意。でも、日本の公立や私立や民間の教育現場を知った自分としては「そうは言ってもなぁ」ってところも多々あるだよね。
1.なんだかんだいっても、日本の小中公教育は「言うこときけ。言われたとおりにしとけ」的な部分がいっぱい。
2.その教育現場にいる教育者もそのように教育されてきた人たちが大半で、なんだかんだ言っても「先生たち自身が組織や上司の言うことをきいて仕事してる」。それにはそうなってしまう構造的な理由(日本社会と学校教育)がある。

 

私:日本人には自律性(我慢する力)はある気がするけど、自主性についてはどうかな。あと、多くの日本人には「誰かに従いたい」って点は、あると思うけどなぁ=責任回避の処世術。もしくは、そのように育たざるを得ない社会が日本にはある←詳しくは『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』を読んでみて。少なくとも、日本の社会科教育(従う人をつくる教育)とスウェーデンの社会科教育(自分で考え自分で決めて自分で行動する民主主義を担う国民を育む教育)はまったく違う。

 

私:日本の教育現場(義務教育課程の公立教師・職員室)は
・論理より感情
・効率より慣習
・行動より沈黙
・主張より空気
・実績より年数
そんな感じで、後者が優位な気がする。当然、そこで育つ子どもたちも自然とそういう「処世術」を身につけていっている気がする。
同じ教育現場でも民間の大手塾は違った。少なくとも私が働いた大手塾は、論理・効率・行動・主張・実績が優位だった。

 

 

友:2章まで読んだ。政治・経済のテキスト、って感じ。たしかにおもろい。民主制とか共和制とかの政治学の言葉の定義がどうなされているのか後半も楽しみ。

 

 

私:それが「小学生」の教科書だからねぇ。日本では「大学生」ですら、持っているか持っていないかという視点や意識を、小学生時点でも育もうというスウェーデンの政策(国の在り方)が感じ取れるよね。もし手に入るなら、日本の小学5,6年生の社会の教科書と見比べてみると面白いよ。極論すれば、そこにある差違が日本と欧米各国との国民意識(在り方やヤリ方)の差違だと考えることができると思う。ホントは、スウェーデンの社会科教科書が書いているような授業がしたいんだけど、国や学校の在り方や考え方(学習指導要領や教科書、上司・同僚教員)に縛られる部分が大すぎますわ。ちょこちょことはやってますけどね(笑)

 

 

友:うん、昨日、ちょうど息子が小学生なので社会科の教科書をみてみた。各地域の経済的特徴と、地理的な観点での話題が多い印象でした。確かに、差はあるね。

 

 

私:日本では基本的に、小5「日本地理」、小6「日本史&ちょこっと政治」。私は政治が大事だと思っているから、過去には明治維新くらいから戦後日本まで力を入れて単元計画つくって実践したりしたこともあるけど。普通の公立だと、日本史やって、政治は三権分立あたりを駆け足でやってオワリとか普通にあるからね…。公立だと、教科の中身を深く掘り下げるかわりに「運動会の軍隊式行進」や「卒業式の呼びかけ特訓」とかに時間使うから…。それが日本の社会教育=「周りに合わせる」「上の言うことは黙って従う」という市民育成方法なんでしょう(苦笑)

 

 

友:政治というか、現代社会と戦争・国防・治安維持・宗教などについて義務教育課程できっちり教えて欲しいなーと、思ってます。そして、運動会は、要らん気がしてます。幼稚園は、運動会があってもいいかなーと思うけど。スウェーデンの。。。を全部読んだ。わりと、いいなと思ったけど、息子の社会科の教科書もなかなか面白いので、いまの日本の小学生の教科書に加えて、このスウェーデンの教科書みたいなのが加わるのがよいのかなと、思ったわ。そんで、時間が足りないなら運動会をやめればいいんじゃないかなと。。

 

 

私:時間はいくらあっても足りない。しかし、授業時間の制約はもの凄い。公立、その教科書の中身すらちゃんとやれてないと思うよ。それは先生悪くない。日本の学校教育の在り方と国民意識の問題。小学校ですら、なんだかんだ言って「知識を教える」ってことに重点が置かれている。中高は言わずもがな。日本とスウェーデン社会科との最も大きな違いは「知識をつけさせる」か「考える習慣づけをするか」。この「狙いの違い」にあると思う。もうさ、ググりゃでてくることはさ「ググる(調べる。情報を精査する)訓練」する方が大事なのにさ。日本はネット時代になっても、未だに「暗記中心の教育」なのさ、結局そこ。小学校はだいぶマシだけどね。

 

 

友:んー、ぐぐるにしても、一定の量と質を伴った知識の体系が自分の中に無いと、うまくはググれないんじゃない? 適切な検索キーワードと組み合わせを考え出して、かつ出てきた検索結果を適切に評価するのは、やっぱり自分がある程度詳しい話題とか事柄でないと難しいと思う。なので、おれは小学校は詰め込みで良いような気がするなぁ。

 

 

私:一定量の知識がないとググれない、同意。小学校は詰め込み。それもアリだと思う、同意。でもね、勤務先はタブレットとネット使って調べ学習することも多いから分かるけど「一定の量の質を伴った知識の体系がないとググれない」ってのは、いささか子どもの知的欲求をバカにしすぎかと思うよ。むしろ、知識の量も質もないからググりまくるという場合もある。グーグルの使い方とタイピングの仕方さえ覚えたら、ずっとネットサーフィンし続けて、自分の興味関心を追及する子も多い。気づいたら、親や教師も知らないことを調べて知っていたなんてことも普通にありうる。


私:何より、実際に使いながらでないと、ググり方も精査の仕方も身につかないから。初等段階でググる(調べる、精査する)を身につけさせておけば、中高では「自分で考えて自分で調べて自分でまとめる」という「学びの基礎部分」を教師抜きでできる。すると、学校という集団での学びの場では「相互交流(他者の意見や調査から学んだり気づいたりする」というステップにすすめる。そうでないと、小→中→高と結局教えてもらい続けるという「受け身ループ」から抜け出せない「釣った魚を与えないといけない」という古い考えから抜け出し、「子どもだからとバカにせず、さっさと釣り方を教える」という方法をとらないと、いつまでたっても次のステップにすすめないかもよ。教えること(知識)は無限にあるから。どこで充分に「一定の量と質の知識を与えた」と教師が感じられるか。この考え方をしていると、いつまでたっても終わりがなく、次にすすめない。これは現場を知っている人間の意見ね。


私:あと、詰め込みで学ぶ知識というのは学校に来なくても、ネットやIT(タブレット式自習学習ソフトなど)でできるんだよね。詰め込み教育するなら、今はネットやITを使った教育の方がコンテンツが良質で面白いから、そこらへんの担任がするつまんない授業で詰め込み教育するより、優れた学習ソフトや動画で「子どもが楽しく自分のペースで学んだ方がいい」となる。実際、詰め込み型の授業なら、私の授業より良質のタブレット教育か、教育用につくりこまれたyoutube の授業の方が優れているわ。勝てねぇ。


私:だから「詰め込める=知識伝達」はITにやらせて、学校(集団での学びの場)では、そこでしかできない相互交流や体験による気づきや発見の授業をしないと意味がないと思ってる。同僚と話しているのは「知識の伝達と定着(反復学習や遡行学習)はIT(タブレット学習)でやって、学校の授業では集団活動や発表、相互交流の授業をしていく必要があるよね」ってこと。実際「反転授業」っていう教育手法があるけど、その考え方にやや近いかなと思う。「教えるではなく育む」を意識して、教師がなるべくファシリテーターになる。この「児童生徒中心の活動・体験型授業」なら、私はそれなりにできてると思う。これは現状AIやITではできない教育だしね。この教育においても「発問」は重要。「スウェーデン社会科…本」は良質の発問だらけだった。

私:そうそう、詰め込み教育でIT利用ナシなら、学校に行かずに塾いった方がいい。入れる知識の量が全然違う。でもね、塾で詰め込み式教育(受け身教育)ガッツリで有名中学入った子どもの何割かは、残念な中高生活を送る。自分で考えて自分で決めるってことができない人になっちゃってる幼少期にガッツリ埋め込まれた「他人任せで言われたことをする」という習慣は、なかなか治らない

私:詰め込み教育の場合、教師の価値は極端に言うと「やらんと怒るぞ! 覚えないと怒るぞ! ちゃんと勉強しないと将来大変なことになるからやれ!」ていう強制者の役割になっちゃうかなぁ。だって、詰め込み教育を行う場合は子どもの自発性を促し、自分から学ぶという姿勢を形成する構造がないからね。カリスマ塾講師みたいに、与える方授業が超絶ウマければ別だけど、そんな学校教員はほぼいない…。

 

 

友:そういうもんなのかー。ちょっとピンとこないけど、それだけに真実味があるような気がする。。。なんとなく、小中レベルは、自分で調べさせるにしてもネットではなくて図書館とかで本をベースにさせた方がええような気がするねんなー。めちゃ情報処理能力のたかい一部の生徒を除けば、ネットサーフィンで得られる断片的な情報を自分で体系立てて応用できるとは思われへんねんな。思考がオールドタイプなのか。。

 

 

私:もちろん、もちろん。書籍は、ネットよりまとめてくれていて、調べやすい場合も多い。書籍を使った調べ学習も大事だから、ネット利用と同じくらいやってるよ、特にタイピングを覚えていない低中学年くらいまでは。でも、教師がどの書籍を与えるか(複数選択肢として、どれとどれとどの本を児童に提示するか)ということは、児童の学習と理解においても非常に重要。同じテーマやキーワードの児童用書籍であっても、子どもにとってはネット以上に調べにくい読みにくい本がいっぱいあるから。

私:あと、調べ学習となると「詰め込み教育」ではなく、活動型の「育む教育」だから、その「調べ活動」に向かわせるための「発問」が重要になる。本であっても、ネットであっても、良質の発問と教師の下準備のもとに「児童が自分から学びに向かう姿」をいかにつくりだすかが大事。企業経営における人材育成と一緒じゃないかな。

私:「オラ、これやれあれやれ、これ覚えろあれも覚えろ、オレの言うとおりにしろ!」だと人は育たないよね。その人材が自ら育っていくような「環境づくり」が経営者にとって大事。学級経営も企業経営と、そんなに変わらない気がするんだよなぁ。でも、「とにかく言うことを聞く従う人材」か「自分で考えて自分で行動する人材」が欲しいかは企業によると思うけど。


ライチゼリーな教育

 

 

子どもたちにライチゼリーが配られた。

 

多くの子どもたちが「いらない。食べない」と言って返却にきた。

 

私は、いったん笑顔で受け取った。

 

約3分の1の子どもがライチゼリーを返却した。

 

返却の流れが落ち着いた。

 

私は、ライチゼリーを再び子どもに配りなおした。

 

そして、全員に向かって、こう話した。

 

 

「ぜんぜん怒っていないから、話を聞いてね」

 

「ライチゼリーを食べないって子がたくさんいるみたいだけど、ライチはおいしいよ! 私のお母さんの大好物。さっぱりしていて、おいしいんだよね」

 

「食べないんじゃなくて、1口食べてみてから、食べるか食べないか決めてね」

 

そう笑顔で話した。

 

 

 

しばらくして、食事が終わった。

 

最初にライチゼリーを「いらない。食べない」と言った子のうち、3分の2はライチゼリーを全部食べた。

 

1口、2口食べて残した子は、「3分の1の3分の1」に減った。

 

そして、私は全員に向かって再び話した。

 

 

私「ライチゼリー、おいしかった?」

 

子「おいしかった!」「食べたら、食べられた」「やっぱりむりだった」

 

私「食べられた人も、食べられなかった人も、どっちもいいよ」

 

私「大事なことは『一度は食べてみること』。みんな1口は食べてみたね、えらいね」

 

私「これは食事だけじゃなくて、勉強でも運動でも他のことでも同じ大事なことなんだよ」

 

私「最初から『無理。やらない』って決めるんじゃなくて『一度はやってみること、やってみてから決めること』」

 

私「やってみたら、今日のライチゼリーみたいにおいしいかもしれない、食べられるかもしれない。でも、やってみても、おいしくないかもしれない。どっちになってもいいから、今日みたいに一度はやってみてね」

 

こんな話をした。

 

 

子どもたちは真剣な目でこちらを見ていた。

 

分かったふうな顔をしている子もたくさんいたけど、分かっていない感じの子もいた。

 

でも、それでいい。

 

私が動き話すということも、ライチゼリーを1口食べてみることと同じだから。

 

 

 

Don't decide before you eat. 

Don't give up before you try.

 

「とにかく挑戦する、行動する」

 これ大事

 

 

 

 

 

決断とライチゼリー don't Give Up (decide ) before the challenge!

リーダーとは〇〇と見つけたり!

 

 

 

ふと「リーダー」の仕事って何だ?

と思った。

 

 

すぐ頭に浮かんだのが

「決めること。責任をとること」

 

 

 

マネジメントの手法や在り方は多様だと思う。

 

しかし

 

「決断することができる人」でないとリーダーではない

 

世の中には、たくさんマネージャー(管理的立場の人間)はいるが、その中の全員がリーダーであるわけではない。

 

むしろ、リーダーでもあるマネージャーは少ないのではないだろうか?

 

逆に、マネジメントポジション(管理職)ではないがリーダー気質を持っている、もしくは職場でリーダーの役割を担っている人間もいるだろう。

 

そこにあるのは、結局「自分で決められる人かどうか」ではないのか?

 

 

 

そんなことを考えながら、さっき「リーダーとは?」と調べてみると、色んな記事が出てきた。

 

しかし、「リーダーとマネージャーを混同」している内容が多かった。

 

「リーダーとマネージャーは違う」ということすら分かっていない人がビジネスの記事を書いていることにビックリ。

 

u-note.me

 

もちろん、リーダーでもあるマネージャーは存在するが、両者は同一ではないという点は重要

 

 

 

そこで見つけた記事がこちら

style.nikkei.com

記事の中身はともかく、題名が明快でした。

 

 

studywalker.jp

今までのリーダー兼マネージャーとして仕事を思い出すと「ふんふん。ですよね~」と思った分かりやすい内容。

 

 

hgo-pc.com

自分1人だけならともかく、複数人、チームや組織で物事に取り組む場合。「目的・目標がない」、すなわち「進む方向が決まっていない」ことは「遭難状態」と同じ。だからリーダーの仕事は「目的・目標など、進む方向を決める」ことなんですね。

 

 

ちなみに、私が今所属している組織は、TOPもナンバー2も「決められれない人間」であります(苦笑)

 

だめだめ~

 

 

 

 

ケンカしないで

 

 

お父さん、お母さん

「ケンカしないで」

 

 

長年教育現場で働いてきた。

子どもたちと接してきて断言できること。

 

子どもの前では絶対にケンカしない!

 

 

父も母も、父であると同時に男であり、母であると同時に女である。

父母であると同時に男女であるから、上手くいかないこともあるに決まっている。

 

2人が上手くいかないのはしかたない。

恋愛感情や愛情がなくなったしかたない。

 

でも

子どもの前では

絶対にケンカしないでください!

 

 

子どもにとって、

父母はとても大事な存在

 

子どもにとって、

父母の関係はとても大事

 

 

両親の不仲、両親のケンカを目の当たりにすると、子どもに色んな悪影響が出ます

 

しかも、かなり重たいキツい悪影響が出ます。

 

学業はもちろん生活も性格も荒れだします

 

両親の関係が崩れると、子どもは徐々に、もしくは突然崩れていきます

 

 

 

もう一度書きます。

 

 

世の中のお父さんお母さん

子どもの前では絶対にケンカしないでください!!

 

 

認める勇気と日本国の生産性

 

www.newsweekjapan.jp

 

 

日本の労働生産性の低さは酷い

 

その理由は「空気」と「慣習」にある

 

日本人の「意識」を変えれば「空気」が変わり「慣習」が変化する

 

しかし、Visionのない日本国に戦略が立てられるハズもなく、もう間に合わないだろう

 

あとは、富裕層がやっているように「各日本人が個人個人でどうやって生き残るか」という戦術しかないんでしょうね…

 

『衰退途上国』
やっぱり、この言葉が言い得て妙

 

 

日本国においては、化学、機械・電気・情報通信 機器分野の生産性が高い。一方、卸売・小売、情報・通信、宿泊・飲食などが非常に低い。しかし、同じ製造でも、食料品製造に関しては非常に低い。

 

日本国の話となると、なぜか製造業や輸出の話になることが多いけれど、日本人の雇用の多くはサービス業に吸収されており、その分野の労働生産性が非常に低い。国際競争にさらされている輸出関連の製造業は世界水準の先進国だけれど、多くの日本人は生産性の低いサービス業に従事しており、それらの業界で働く大半の日本国民の賃金も低い。この点、重要。日本の賃金水準がもはや先進国とは言えなくなっている点については、オーストラリアでしばらく暮らせば体感できる。

 

※日本の労働生産性の低さについては、この本が分かりやすく詳しいです↓オススメ

 「日本人の勝算: 人口減少×高齢化×資本主義」

日本人の勝算: 人口減少×高齢化×資本主義

日本人の勝算: 人口減少×高齢化×資本主義

 

 

 


↓日本国のサービス業の現状(内閣府資料)

https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/future/wg1/0418/shiryou_01.pdf?fbclid=IwAR22vNJmxxHLa-nbaTysoxbHrE5B3XxVK7dx8lV-oigkJksnnfjH3u2ayT8

 


もう一点、日本国の話になると、輸出製造業に言及ことが多い点について。上記孫さんの記事と重なり重要なことがある。それは、日本の輸出シェアは低下の一途であり、すでに輸出大国などではなく、人口相応の世界シェアしか確保できていないという事実。この事実からも、日本は衰退途上国と考えられる。

 

bizgate.nikkei.co.jp

 

教育分野。特に、公教育の労働生産性の低さは先進国でダントツに最低。私の勤務先は公教育ではないから、そうでもないけれど。それでも「なんでこんな非効率的なことをやってんだ!?」って嘆きを、異業種からの転職者とはしょっちゅう話し合ってます。

www.fnn.jp

news.yahoo.co.jp

こちらの記事は、良い視点がいくつか入っているけれど、記事中の「日本では、他国よりも比較的常勤の教師が多く回答している傾向があった」という点は間違っていると思われる。

日本国の公立学校(特に公立小学校)においては非常勤(時間給)の教師は少数派。

一方、「常勤」という名の「契約社員先生」が非常に多く、この待遇の先生たちは「正教員(正社員)」とまったく同じ業務内容をこなしているが、給料は70~80%程度(年齢による)、生涯年収(22歳から一生常勤で定年まで働き、年金受給額含み計算)に換算すると50%程度になるような待遇。

もちろん、教師は常勤も正教員もサービス残業(残業手当は給特法があるため一切ない)。そりゃ労働生産性低くなりますよね。サービス万歳(苦笑)。

 

 

誰かに従う

 

 

 

日本人て「誰かに従う立場」って好きだよね。

 

 

 

 

私は子どもたちに「もっと先生に反対(提言提案)したら?」ってよく声かけてる。

 

そして同僚らにも「もっと自分の意見を主張したほうがいいんじゃないですか?」って話してる。

 

教育現場の大人たちですら「誰かに従うことを選んでいる」から、子どもたちも当然誰かに従う人間に育つよね。

 

でもさ、教育者や児童生徒だけじゃなくて、日本人(そこらの親)の大半が「社会や組織(会社や上司)に対して声をあげる」ってことしてないよね?

 

だから子どもたちも変革への行動ができない人間に育つよ、当たり前。

 

「行動しない人=従う人」だから、これからの変化が大きい時代を生き抜いていくのは大変になると思うけどなぁ。

 

たしかに「誰かに従う=責任を回避する」という処世術なんだろうけど、そんなのは目先の楽にすぎないんじゃない?

 

たった一度の自分の人生なんだから「自分が決定を下す=自分で責任をとる」って選択をしてかないと後から後悔すると思うけどなぁ。

 

子どもたちのために、まずは大人、親が「自己決定と自己責任で行動する」手本をみせないといけないんじゃないですかねぇ。

 

 

※追記

今までは「リスクを取らない(主張しない=自分で決定することを避け、誰かに従う」って処世術の方がデメリットよりメリットが大きかったのかもしれないけど、これからの社会はどうなんだろう。

個人的には企業や組織に抱えてもらう時代(サラリーマン時代)から、自分で生き抜く時代(フリーランス時代)に転換していく気がしている。

そうすると「自分で決定する・自分が決定する」ってことは避けられない世の中になる気がするんだよ。

逆に、自己決定できない人はAI以下の作業的奴隷人材になるしかなくなるんじゃないかな。

だって「自分の意見を主張できない・自分で決定ができない=自分でなく他人に責任を取ってもらう」って奴隷でしょ。

 

自分から国家・社会・組織の奴隷になることを選んでどうするの?