「みのたけ」の 教育・投資・生活etc

みのたけ中年の趣味用雑記メモ(非収益化ブログ)。倹約と投資で労働から卒業した隠居生活者。投資歴は20年ほど。

才能と教育(天才&やり抜く力GRITグリット)

 

その道(学習指導)の人なら、小学中学年程度で、その児童(人間)の学習センスが「天才水準」かどうかは分かります。

 

※あくまでも「天才」かどうかです。

 

例えば、帰国子女でもなく、留学経験もないのに、小学校で英検1級に合格してしまうような語学の才能を持つ児童がいます。全日本珠算選手権大会で、暗算の部で上位入賞するような児童もいます。そういう児童(人間)というのは、「その分野の才能」を持っている、いわゆる「天才」という類。

 

これは、学習に限ったことではなく、運動でも同じ。運動の才能がある児童は、子どもの頃から明らかに運動能力に秀でています。走らせたら早いし、鉄棒やらしても体の使い方が巧み、ボールを投げるのも上手だったりします。誰も教えていなくても、「持って生まれた飛び抜けた能力」を持っている。自分の子ども時代を振り返っても、特に運動なら、そういう子いたでしょ?

 

学習能力も同じ、「持って生まれた差」が明確にある場合がある。ただし、これは「天才」に関しての話。多くても100人に1人とか、1000人に1人とか。まぁ1万人に1人とかが本当の天才レベルなのだと思いますが。

 

では、そのほか大勢の凡人(私もアナタも、おそらくアナタの御子息御令嬢も)は、どうしたらよいのか?

 

それは、努力と工夫しかないです。もっと言うと「努力と工夫を続けたくなるような、好きな分野に取り組むこと」。凡人なら、これしかない。

 

だから、子どもに無理やり何かをさせ続けるより、「好きな分野」を見つける手伝いをしてあげる方が良いと思います。その時に大事なのが「社会の役に立つ」好きな分野が見つかると非常に良いということ。ただし、その時(時代)には社会の役に立たなくても、将来(未来)においては役立つということもあるので、そこは難しいトコロです。しかも、その時代には役立ったのに、将来には役立たないという、逆もアリます。

 

兎に角、大抵の人(大人も子供も)は凡人なのだから、人より努力と工夫が続く「好きな分野」を見つけられるかどうかが生きていく上で、とっても大事。アナタが親なら、子どもが好きなことを見つけられる手助けができるとよいですね ^_^

 

ただし

「GRIT(やり抜く力)」をつける教育は必要です!!

※「やりたい!→もうヤダ!→(新しいこと)やりたい!→もうヤダ!」はダメ!!

 ↓ ↓ ↓

 

 

 

 

オーディオブックも出てますね!

 ↓

 

分かるかどうか

 

直感で分かる

 

知識で理解する

 

体験で体得する

 

知っても、見ても、触っても、やっても、身につかない

 

※その人、その分野によって、それぞれずいぶん差があるな、と思います。

 

 

 

1111に1122の日 イイふうふの日と他己分析

 

※以下、UP前に気づきましたが、私は本日11月11日が11月22日で「いいふうふの日」だと完全に勘違いしておりました。

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よく耳にする「自分らしく」という言葉自体がピンとこないんですよね…

自分がそこにいたら、それが自分じゃないの?」と思うのだけれど…

よく使われている「自分らしく」というのは、どういうことなのだろう?

 

あと、たまに友人から言われるのが「みのたけは自分大好きだからなぁ」ということ。

「は? そもそも自分のこと好きじゃない人がいるの? 好きじゃなかったら”神殿”じゃないの?」と、私は返すのですが

自分のこと好きじゃないなら、なんで生きてるの?

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こんなツイートを2020年11月7日にしました。

 

すると妻から以下の伝達がありました。

※※アスぺなワタシは、職場だけでなく家庭でも、口頭でのやりとりより文書化・可視化されたデータを好みますので、部下(上司にも勝手にやってる)にも家族にも「大事な内容は極力文章(メールや各種メッセージ)で伝えて」と言っています※※

 

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「自分がそこにいたら、それが自分じゃないの?」

それが自分なのだが、多くの人は「そこにある自分」がありたい姿ではないってことなのでは。つまり、本音と建前ですね。

 

こうありたいと思ってても他人の目を気にして変えてしまうことが多々ある。でもアスペの人はこのズレがない(本音と建前がない)から…理解不能だぜ!となっているような。

 

だから「自分らしくありたい=他人を気にせず自分の希望通りの行動を突き通したい!」ってことかなぁと思う。

 

私(妻)が以前あなた(みのたけ)に書いた手紙に「私達らしく」と書いてたら、(あなたが)なんか引っかかっていたのを覚えている。


私は「うちらちょっと他の人とズレてるけど、ゴーイングマイウェイで行きましょうね」という意味が大きかったかな。

 

文章的に「ゴーイングマイウェイは疎ましく思われがちだけど」という言葉が隠れている感じかしら。

 

アスペの人(夫=みのたけ含む)は、ゴーイングマイウェイが疎ましく思われがち、という状況にも気づけてないってとこがミソですかね。

 

あー、アスペの人は、多くの人とのズレで悩むけど。多くの人は、自分の道を進めないところで悩んでるのかもな。

 

そんなん簡単、好きなようにすればいいじゃん!(アスぺ)
        VS
そんなん簡単、同調してればいいじゃん!(マジョリティ)

 

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さすが我妻

素晴らしい視点をくださいました。

相互扶助・相互補完ですね

1122の日 ^_^  ^_^

 

※上にも書きましたが、私は本日11月11日が11月22日で「いいふうふの日」だと完全に勘違いして、この記事を書きました…苦笑

 

1122(1) (モーニングコミックス)

1122(1) (モーニングコミックス)

 

 

アゾレス諸島テルセイラ島(ポルトガル)と徒然なる教育や資産管理な雑記

 

アゾレス諸島テルセイラ島(ポルトガル)へ行きたいと思いました。

tripler.asia

 

 

全然関係ないんですけど、日本の保護者ってダメダメなのが混ざっているので、公立学校で先生するとか本当にやめておいたほうがよいと思いますよ。一応、業界に入って20年程、公立・私立・民間の教育機関で働いてきましたが、日本の公立学校はブラックダイヤモンドです

 

そもそも、子どものイザコザに口出すとか、ウマシカですよ保護者が。子どもに選択の自由と責任を持たせず、ギャーギャーと喚き散らして、教師も子供も潰すというのが、日本のウマシカモンスター保護者です。で、熱心・一生懸命に働いている先生から倒れていくというのが日本の公立学校の内部。なぜなら、公仕事は、サボるが勝ちで、頑張る先生に大変な仕事がまわされるけれど、十分な権限は渡されず、一方で給料は年功序列という、どうしようもない構造だからです。

 

本気で教育やりたいなら、民間、せめて私立で働きなさい。というのが、私から教育を志す若者への助言。公教育というのは、熱心・一生懸命・頑張る先生の「善意に頼る」というボンクラな仕組みでございますよ。だから、優秀で良い人から倒れていく、去っていく。私の友人も、2人倒れましたよ。

 

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閑話休題

別にコレが本題というワケではアリマセンが(笑)。メモです。

 

場所が必要で、管理が大変な資産はよろしくない。管理が大変というのは、維持にお金がかかったり、手間暇、時間が奪われる資産ということ。例えば、持家ですね。

 

私は、田舎の数百年続く農家の長男跡取りですので、故郷には10LDDKKの日本庭園付の屋敷があります。ついでに、田んぼも畑も、山まであります。しかし、維持管理にお金や手間がかかるだけで、資産価値も利用価値も低いです。

 

ハッキリ言って、大きな家なんて邪魔なだけ。便利で安全な立地の、使いやすいマンションを賃貸で借りている方がよっぽど良いですよ。私は、実際そうやって暮らしていますが、田舎のデカいだけの屋敷暮らしと比べ、快適極まりないです。家賃は兎も角、有事の修繕費など維持管理費は大家が払いますからね(笑)

 

父方が経営者一族でしたので、私が子どもの頃には、親族一同で数千万円程度のこじんまりしたクルーザーを所有していました。その頃(10代前半)から、私はお金に興味がありましたので、父親に色々と聞いていましたが。その船、使用せず保管維持するだけで年間100万円程の管理費がかかっていました。それに加えて故障などが発生すると、数百万円の修理費がかかったこともありました。バカな道楽ですね。

 

30年程前、父は私の故郷の田舎ではほとんど見ることのなかった「ベーエムベー」を買いました。BMWの5シリーズでした。確かに、乗り心地は日本車(前車はクラウンのロイヤルサルーンでした)と異なり、なんだか飛行機に乗っているみたいで、ずっしりどっしりとした感じで悪くなかったです。でも、日本車と違って、電気系の故障が多く、父も「お金がかかるな」と言っていました。車検だけでなく、色々と維持管理費がかかったようでした。

 

そういう経験から、私が初めて買った車は事故歴アリ中古車、コミコミ17万円軽自動車でした。次に買ったのは、事故歴ない中古軽自動車で、コミコミ14万円でした。今は、中古の中古の商用車みたいな日本の中古車を無料で譲ってもらって、かれこれ7,8年乗っています。そろそろ20年落ち…。

 

家賃も、大学入学当初は親が「どこでもなんでもいいから、安全なところに住んだら?」と言っていたので、学生下宿アパート相場が5万円弱の地域にもかかわらず、オートロック・ロフト&シーリングファン付きの8万円前後の高めなマンションに住んでいました。

 

しかし、1年も住まぬうちに「この高い住まいは分不相応だ!」と思い、家賃1万5千円の4畳半風呂ナシ共同トイレの下宿に引っ越しました。その後、大学を卒業して、普通の給料をいただきながらも、近くの家賃2万円(風呂共同・トイレ共同)のアパートで数年間暮らして貯蓄に励みました。

 

そんなこんなで、中年おじさんの年齢になった今。セミリタイアしてもよいだけの自己資金形成ができましたが、趣味と実益を兼ね、今でも雇われ仕事をしております。それなりに楽しいですし、やりがいはあります。

 

でも、ちょっと飽きてきたなぁというのが正直なところ。だから、今は働きながら大学に属して、新たな資格取得に向けて勉強したりしています。勉強は楽しいですね。たまにイラつく指導教官がいるので、やり合っていますが…苦笑

 

付記

やはり経営者の家に生まれ育つのと、雇われ労働者の家に生まれ育つのでは、色んな感覚(特に労働観など)が異なるのかな、と思うことはあります。妻にも「アナタは経営者の家に生まれたからじゃない?」と言われることもあります。しかし、私の兄弟姉妹を見ると、お金の管理、資産形成能力は各自に天と地ほど差があるので、やはり能力は育った環境より「その人しだい」だと私は思います。

 

「子育て・教育」と「選択と責任」

 

自分で考えられない、決められない人間が多いと嘆く日本社会がある。


そりゃそうだ。親が何でもかんでも「これしなさい!あれはダメ!ああしなさい!それは禁止!」と、子どもから「選択と責任」という経験を奪っている。


逆だ。小学校低学年からでも「自分で決めて、自分で責任をとらせる」という家庭教育が必要。なぜなら、子の人生を生きているのは親ではなく子ども自身だから


大事なのは「選択するということは、結果の責任をとるということ」。子どもだからと言って「選択の自由はアルが、結果の責任はナイ」というのはダメ。


「選択と責任は表裏一体」。この「自分の行動の結果責任を自分で持つ」という体験の積み重ねが、自分で考えて自分で行動できる人間を形成する。


最もダメなのは、子どもの選択にアレコレと口を出し、結果についても子どもの責任を追及するという親。こういう親は、もうどうしようもない。自分で自分の子どもの人生を潰しているようなもの。

 

「!!?」と思われた方は、この本を読まれると面白いと思いますよ。

 

 

自分の子どもを「奴隷脳者」にしたいなら、ご自由に、ですが…苦笑

apapoyo.hatenablog.jp

 

 

追記

こんなのあった。同意しかないな。

kodomo-manabi-labo.net

アスペルガーとピラミッドストラクチャー

 

妻から、こういうメールが来た

 

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ASDの人は、論理的思考だから常にピラミッドストラクチャーが頭の中にある。なので一番上にある「大きな問い」に対して、枝葉になる「考えるべきこと」がすぐに浮かぶ。故に無駄なことを考えず答えに到達するのに時間がかからないのかなと思った。「大きな問い」は、プライベートだと人それぞれの関心事になる。あなただったら経営かしら。

 

論理的思考ではない人は、このピラミッドストラクチャーが頭にないから、大きな問いが浮かんでも答えに到達するのに時間かかるんだよなきっと。私はその設計自体が苦手で時間がかかる。一番大切かつ一番最初にやるべきところの設計でつまづいてしまう。(これは人生の設計も同じ)

 

〇〇さんのマーケの基本研修受けてるんだけど、先日は分析についてで、分析設計がまず大事って話の内容だったけど、結局コンテンツ考えるのもこのピラミッドストラクチャーで考える訓練だし、全部同じなんだな…と気づいたのでした。

 

で、マジョリティは問題意識がそもそもない、もしくは低いため「大きな問い」自体も持たないし、持ったとしても考える構造がないため考えるのに時間がかかり途中でやめるのかな、と思いました。

 

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なるほどなぁ。

 

なんか色々と思うところはあったけれど、アスぺ仲間とのやりとりの方がテンポがよく心地よいのは、そういう理由もあるのかな。

 

定型マジョリティを相手に話や説明をしていると「あぁぁ!なんで考えてないの!!?」となったり、「あぁ!!!なんで、なぁなぁで済まそうとするのだ!!!?」と感じることがしばしばある。

 

マジョにとっては「なぁなぁ」で済ますことが最短ルートなのかもしれないけれど、我々アスぺにとっては「なぁなぁ」は最もイライラすることで、「とことん」まで議論する方が最短距離に感じたりする。

 

マジョにとっては、アスぺ系が「とことん」まで議論したり、やりあったりしていうのをみて「なんでそんなに突き詰めるのか?」と思うのかもしれない。しかし、コチラ側にとっては逆なのだ。

 

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閑話休題

 

で、自分の「大きな問い」は何だろう?

 

と、考えてみると

 

「『人生の幸福』 と『 お金』」かな、と思った

 

『人生の幸福』の中には「家族・仕事・自由」などが入る

 

『 お金』の中には「資産全般、資金」が入る

 

 

『 お金』については、小学校の中学年(10歳くらい)で、自分から両親へ「お金の管理がしたいから、定額のお小遣い制にしてほしい、今までのお年玉が入っている銀行の通帳を自分で管理したい」と申し出た。その頃から、私はお金に対して関心が強かったのだと思う。

 

『人生の幸福』については、高校生の中頃に、ずいぶん思いつめたことがあり、そのときに突き詰めて考えた。「人生の幸福」なんてポジティブなものではなく、「なぜ生きなければならないのか?」というネガティブな問いが根底にあったわけだけれど、10代の中頃に「人生」について「とことん」考えることができたのは、後から振り返ってみるとラッキーだった思う。

 

つまり

 

私にとって、常に頭の中にあり自動思考されている「大きな問い」は、今でも「生き方」なんだと思った。

 

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妻から追加説明がきた

大きな問いを持たなくても生きていられるってところがミソですなぁ。。

「自ら進むか、流れるか」

ぷよぷよぷよ〜

 

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な、な、なるほど!!!

ぷよぷよぷよ〜(笑)

 

秋の快晴と旅行と道

 

 

本日はツイ廃にならず、愛車(小型自動二輪)に跨って、南を目指してみました

 

 

南へ、南へ

 

太陽へ向かって走りました

 

見慣れた町並みから、河原、土手

 

草と、空と、秋の空

 

自転車専用道路かもしれない

 

でも気にしない

 

堤防の上を走って

 

大きな橋を渡る

 

いつか来た道

 

まだまだ

 

南へ、南へ

 

工業の印

 

大きな煙突とむき出しの巨大なパイプ

 

記念撮影

 

南から東へ

 

東へ、そして北へ

 

駅と思い出

 

北へ、北へ

 

在所の中に牛がいて

 

在所の中に寺があり

 

在所の中に人がいる

 

東へ、そして橋を越えて

 

知っている地域でも

 

大好きな横路へ

 

細い道、知らない道

 

不思議な駐車場

 

レストラン?

 

茶店

 

珈琲好きだから

 

ロビンソンクルーソーな入口を押す

 

もう1つの入口

 

中はステキなディズニーランド

 

サラダのドレッシングが酢ッぱ好み

 

炭火珈琲リーズナブル浅煎りOK

 

グリルチキンが素晴らしい!

 

付け合わせもちゃんとしてる

 

次回は妻と来ようと決めた

 

ロビンソン・ディズニー遅ランチ

 

外へ出ると、夕焼け夕暮れ

 

小道を走る、脇道に逸れる

 

それでも道はつながっている

 

いつもの町並み、いつもの場所

 

懐かしの場所、部屋を見上げて

 

私は帰る

 

まちなかに夕の市

 

個人情報は渡さない

 

いつものコンビニ

 

いつもの、いつもの

 

 

書を捨てよ、町へ出よう

ネットを捨てて、道へ出た

 

そんな、秋の日曜、午後の記憶

 

 

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)