「みのたけ」の 教育・投資・生活etc

みのたけ中年の趣味用雑記メモ(非収益化ブログ)。倹約と投資で労働から卒業した隠居生活者。投資歴は20年ほど。

マスゴミ新聞社と「押し紙」って知ってますか? 既得権者による詐欺

 

押し紙」というのは、新聞社による「部数詐欺」。誇大部数をもとに広告費をボッタクる、新聞社による長年続いている詐欺行為です。


新聞記者含む業界内の人は知っているが、己のメディアでは報道しない。なぜならマスコミ者達は「自分たちの業界は特権階級」だと思ってるから。


中を知らない人たちは、新聞社にジャーナリズムなんて期待してはいけない。問題意識があるホンモノの記者は、組織を退職して20年前から報じてきた。

 

新聞なんてのはジャーナリズムではなく、ただの煽り瓦版。

 

www.kokusyo.jp

 

 

マスコミ業界は、自分たちの既得権や不正だけは特別扱い(棚上げ)して、学校教育や政治官僚企業etcを叩きまくってきた。


それができたのは、単純にマスに届く「メディア(媒体)」がマスコミしかなかったから。マスコミだけが超既得権益支配層・上級国民だった。


入社当初は「これはおかしい」と思っていた中の人(記者達)も、10年したら業界に染まって自己弁護(業界既得権擁護)を繰り返すだけで何も見えていなかったね。業界の自己矛盾(上辺のキレイゴト主義)が見えてるガチンコの人達はマスコミを辞めていった。


ネットメディアの登場によって、旧マスコミ(新聞テレビ)がやっと批判に晒されるようになった。マスコミの中の人間が「全部が全部、全員が全員そうじゃない!」と言っても、そうは問屋が卸さない。


なぜなら、例えば『マスコミの学校教育批判は、一生懸命に教育に取り組んでいた素晴らしい教師達の人生をも批判の渦に巻き込み沈めてきた』のだから。マスコミの過剰な学校教育批判煽り叩きで、どれだけ学校現場が疲弊してしまったことか。


マスコミがやってきたことがマスゴミに返ってきているだけ。分かっていたのに声もあげず改善もしなかったマスコミ業界と中の人達の責任。


今まで自分たちが批判する既得権に自分たちだけが最も守られ、年収1000万もらってきてたマスコミ業界が異常だったのよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

※基本的に「個人」がマスコミの取材を受けることは避けたほうがよい。


マスコミの内部を知らない人たちは、新聞記事をありがたがり、取材されては喜んできた。そうやって一般人は自分から喜んで取材を受け、個人情報を全国にばら撒いていた。


「商売がらみの売名」でないなら、メディアの取材を受けることは「自己満PR」以外ではデメリットしかない。


特に新聞は「準公」扱いなので危険極まりない。紙の新聞は、図書館などで半永久保存されている。しかし、図書館の紙保存なんてマシな方。


デジタルな現代では、地方紙からの取材を受けただけでも瞬時に全国全世界に個人情報が拡散され、基本的にネット上に永久保存されてしまう。


もちろん新聞各社は社内データベースに詳細検索機能付きで保存している。今後、新聞各社は今までの記事データを「検索機能付き」でWEB閲覧商売として充実させていくだろう。そんなものを、お金払ってまで使うのは「悪い人(儲けを企む人)」が多い。登記情報と同じ。あぶないあぶない。

 

「最大多数の“眼前幸福”」と、ゴールドマン・ロックス(目先思考の先送りと普通選挙制民主主義の衆愚政治)

最大多数の最大幸福(功利主義)と民主主義


現時点では誰も傷まない国家による負担
=「先送り(将来世代へのツケ)」


政治家は、今の日本がやっていることは「負担の先送り」と分かってる

しかし、先を見ようともしない人たち(国民の多数派)にとっては眼の前の快楽が最適解

政治家は選挙で選ばれるのが仕事なので、当然「大衆迎合的政策」をアピールする

新コロを例に出すまでもなく、先のことを考えない目先思考の人達が人間の「マジョリティ」

つまり、普通選挙制民主主義(全国民主権)の根本構造は「最大多数(衆愚)による『眼前』幸福の追求」=衆愚政治

このように、普通選挙制民主主義は衆愚政治(目先政策による負担の先送り)になっていくという構造的欠陥を抱えたボリュームゾーン政治でしかない




※私の思考特性は、長期、コスパ、批判=黄金ROX!
※妻の思考特性は、目の前の課題に対して分析的視点を持ちつつ愚直に取りくむ「冷静な情熱家」

クリティカルシンキングとは?寄り添い共感とは?


クリティカルシンキングとは、権威を疑うこと』

陰謀論者も国策信仰者もマスゴミ盲信者も皆で一緒で同根



ここでいう「権威」とは何か?

分かりやすく表現すると「誰が言っているか」。

つまり「権威を疑え」=「誰が言っているかではなく、何を言っているかを分析しよう」ということ。

「テレビが〜、芸能人が〜」は論外だけれど、歴史を眺めれば「政治家、官僚、学者、新聞などの権威者の大失態(失言ではなく政策的大敗)」も枚挙にいとまがない。

だから、「〇〇が言っているから=誰が言っている」ではなく、「比較、割合、推移などに気をつけて、こういうデータがある」と自分で調べて考えて判断することを心がけることが大事だと改めて感じた。

今は昔と異なりネットを使えば我々素人でも世界中の情報にアクセスできるので「“誰が”ではなく“何を”」は、昔とは比較にならないほど容易で素晴らしい社会になっている。



有事になると『正解は1つしかない、異論は認めない社会』

80年経っても『1億総玉砕』の国民性…

俯瞰を欠いた群衆の集団思考って恐ろしい

新コロよりも『人間集団のパニックと熱狂』こそが、もの凄く危険



「皆で”協力”して自粛しましょう!」

「”秩序”を乱す」言動は許さないかのような「"空気"醸成("同調圧力形成")」をすぐにやりだす社会、ホント気持ち悪い

1.太平洋戦争中の「戦争賛美しか許さない!」

2.新型コロナ禍中の「自粛に協力しないと許さない!」

この2つは本質的な部分で一緒

それは有事になると

『正解は1つしかない、異論は認めない社会』

もの凄く危険だわ



「寄り添いましょう」「共感が大事」という意見は、パッと見では道徳的に思われるが、寄り添って共感する「対象の選択は恣意的にできる」点に注意しないといけない。

つまり、このような言説を分解して分析すると「自分、もしくは自分が推す対象に肩入れしろ!」という主張と分かる。

つまり、「寄り添い」や「共感」などと言っている場合、突き詰めると「自分達側(自分たちの判断)を特別扱いしろ」ということが大半。

新聞社を含め日本の多くの報道機関は、コレ↑を理解した上で意図的に悪用し続けているので、かなりタチが悪い。

やればできる?(=やらないとできない)


『やればできるんです』

このような言葉を教育現場、特に進路相談や保護者面談の際にしばしば耳にした。

換言すると『やらないとできない』



【やればできる=やらないとできない】

ココの理解が重要



「私はヤレばデキるんです!」
「ウチの子はヤレばデキるんです!」

今、結果が出ていないということは、ヤッてないんですよね?



子供だけでなく、大人でも同じ。

やればできるのであろうがなんであろうが、結果が出てないなら「やってないんだろ。ヤレよ!」ということ。



これは、学校の受験勉強でも、会社の営業成績でも、倹約でも、資産形成でも、禁煙やアルコール断ちでも、ダイエットでも筋トレでも、全部同じ。



結果が出てないなら、やっていないということか、やってもできないのどちらか。

だから、大人も子供もグダグダ言い訳してないでヤレ!

言い訳人間と行動人間、行動は計画的に(笑)そしてウォーレン・バフェット

言い訳ばかりで行動しない人間は何もできない。

他人や国家に期待しても無駄。

それより、自分ができること、自分がやりたいことを自分流でやっていけば良い。

社会や世間の「当り前」なんて気にしてたら、自分の人生ではなく空気として一生が終わるだけ。

自分で考えて自分で行動できない若者でも中年でも、言い訳だけでなく行動しろ!

面白い環境づくりは自分の人生づくりから👍

※行動は計画的に👍

※無計画な暴走(行動)は本人にとっても社会にとっても有害。戦略的に考えて行動しないと嵌められるだけですよ。

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投資すべきは自分自身。自分自身を成長させよう。あなた自身の活動ならなんでも良い。あなた自身が成長して身につけた技能は誰にも奪えない。インフレがあなたの技能を減らすことはない。あなたの持つ体験や技能への課税もない。そして、あなたの能力が優れていれば誰かがあなたに対価を払いたくなる。つまり、現在の最高の投資先は間違いなくあなた自身。

ウォーレン・バフェット

悲観と楽観 投資というよりリスクマネジメントかライフプランニング

 

「中長期の見通しは最悪を想定して、目の前では楽観的に最善を尽くす」

 

似たようなことを稲盛和夫御大は『楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する』とおっしゃっているようだが。

 

「楽観的構想」というのは実践してきた記憶があまりないけれど、「悲観的に計画して(中長期を見通す)、目の前では最善を尽くす」という思考習慣は思い起こせば10代前半からやっていた。

 

正確には、物心ついたときから悲観的に物事を眺めるというクセがあったような気がする。しかし、高校生活後半ごろから「分からない将来はいったん置いておいて、目の前のことに最善を尽くす!」という思考と行動ができるようになっていった。

 

その後も「厳しく(最悪も想定しつつ)中長期の見通しを立てた上で、目の前のことに全力で取り組む」という生き方をしてきた自覚がある。

 

結果、私は中年でマジョリティ社会の修行生活から"自主的に"卒業して、今は気楽な自遊人をやっている。

 

(それなりに家と両親に恵まれているので、20代でも自遊人生活ができたが。10代、20代は親におんぶにだっこは避けた。他の一般的な友人達より”随分と”質素倹約で貯蓄と投資をしてきた→今は自分の貯蓄運用資産だけで、いわゆるFIREといえる)

 

apapoyo.hatenablog.jp

 

眺めてみれば「中長期の見通しを持たず、とにかく目の前のことをやっているだけ」と感じられた同世代は、相変わらずラットレースの中でもがいている。いまだに奴隷のように雇われ労働者をしているか、独立自営者でも資金繰りを気にしながら汗水垂らして日々を過ごしている。

 

私の目から見た限りでは、高学歴者も低学歴者も変わらず、リアル友人知人の中年ラットレーサー達は総じて「目の前しか見ていない or テキトー過ぎる(=長期思考と俯瞰の欠如)」。そんな「悪い意味での刹那的若者青年時代を送っていた人達」である。

 

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投資においても「悲観で買って、楽観で売れ」などという格言のようなものある。しかし、これは上記とは少し話が違うかもしれない。

 

まず「相場(市場)の悲観・楽観」を本当に認識できる市場参加者がどの程度いるのだろう? VIXやRSI、移動平均線などで悲観楽観が定量化されているという人もいるだろう。それはそうかもしれない。

 

しかし、そこが「本当の悲観か楽観か」。アナタは見極められるのだろうか? 少なくとも私は「最善のタイミング」を見極めることはできない。

 

もう1つ、より重要なのは「人間のココロ」の問題があるだろう。それなりの上下相場を経験してきた人は分かるだろうが、誰だって「楽観で買う・悲観で売るは簡単。一方、楽観で売る・悲観で買うは難しい」。

 

「楽観の空気の中では楽観的になり、悲観の空気の中では悲観的になる」のが多くの人間のココロの習性だということは、80年代のバブル相場を体験していなくても、2020年~2022年に起こった「新型コロナウイルス怖い怖い集団ヒステリー世界パニック」を体験した人なら分かることだろう。

 

(私は堅実な経営者一家に生まれたので、同世代のリアル友人知人と比べると、バブルを強く体感している&不動産投資と借入経営の怖さを知っている方だと思うが)

 

少なくとも、相場を眺めても新コロパニックを眺めても、人間のマジョリティは「イナゴ的(=思考停止で空気に乗っかるだけ)」であると言える。

 

相場の「タイミングを見極められない」そんな私だけれど、新コロ相場の暴落時には買いまくって、2021年の夏と冬には随分とポジションを整理済み。新コロも「世間が騒ぐほど」怖く感じなかった。

 

「話が違うじゃないか?タイミングを見極めているだろ!?」という人は、私の過去のブログを読んでくれていないのだろう。

 

apapoyo.hatenablog.jp

 

新コロ騒ぎの前(2019年秋冬)、ブログをはじめてしばらくしてTwitterを始めてから「資産管理(投資と分散)」について幾つもの記事を書いたり、ツイートしたりした。

 

apapoyo.hatenablog.jp

 

私の資産管理(投資とも言えない)の根幹は「自分のアセットアロケーション(資産分散管理)を守る」である。

 

apapoyo.hatenablog.jp

 

だから相場の暴落時は手動リバランスを行い、含み益が増大したので定期リバランスで調整した。ただそれだけ。私には市場のタイミングを読む超能力はナイので「航路を守る」だけのこと。

 

新コロについては「俯瞰して統計を眺め、割合と比較、そして推移に気をつけた」ので、世間が騒ぐほど(少なくとも社会経済停止するほど)怖いウイルスだとは思わなかった(準備はマジョリティより早くしたけどね)。

 

apapoyo.hatenablog.jp

 

apapoyo.hatenablog.jp

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そんなことで「中長期の見通しは最悪を想定しつつ、目の前は楽観的に最善を尽くす」という”風”な、まぁ基本的には子どもの頃から「あまのじゃくな頑張り屋で、ときどき過集中という特技が使える」ASDな私は、悲観と楽観のバランスを楽しみながら今も幸福な自遊人をしているという話でした(笑

 

※今日は1本、家の庭の木をノコギリで切りました。

 

住宅ローン、借金好きな人と金利の動き方、スワップ金利10年物

金利の動き方

「固定が先に上昇、後から変動の金利が上昇」

=「金利が高くなってきたら固定に借り換えれば良い」とか言ってる金融リテラシーのない人たちが、変動から固定へ借り換えしようと思う頃には、すでに固定金利が大幅に上昇済み。

=変動の低金利を前提に支払い計画立ててる家計は、金利上昇局面に入るとドボンするしかない。

リアル眺めても、銀行、税務関係に勤務してる友人は全員「住宅ローンは最初から固定金利借入」。当たり前。

変動金利で借金する(住宅ローン)というのは、リスクにリスクを重ねる行為なので、金融リテラシーある人はしません。リテラシーない人は説明してあげても聞く耳を持ちません。

わざわざ親切に貴重な情報を無料で教えてもらっても、その情報の価値が分からない人たち。新コロと同じ、自己責任。




変動金利でお金様を他人様から借りてる人間は、スワップ金利10年物を観察しておいた方が良いんじゃないの?

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