「みのたけ」の 教育・投資・生活etc

みのたけ中年の趣味用雑記メモ(非収益化ブログ)。倹約と投資で労働から卒業した隠居生活者。投資歴は20年ほど。

台風と雨音

 

 

雨の音を聞きながら眠るのが好きです。

 

明日の予定のない雨の夜の眠りの入り口の心地よさ。

 

外出する必要もない昼間に雨音を聞きながら昼寝、これもいい。

 

今日は午前1時頃に就寝、午前9時頃起床。

 

朝食を済ませてから眠気がきたので、午前11時前から午後1時半まで睡眠。

 

また帰省中なので、犬の散歩ついでに川の水をチェックするパトロール。

 

昨日だったか一昨日は、激しめの雨の中で傘をさしての犬散歩、これも楽しかった。

 

雨の後の今日の犬の散歩も良かった。

 

どちらも後期高齢者の父と一緒に散歩した。

 

今回の台風で被害がないことを祈る。

 

大地震も怖いんですけどね…

 

まぁ、もう中年まで生きさせてもらったので、だいたいどうでもいいかなとも思うけれど。苦笑

 

今日もゆったりと。

 

 

 

呆けた馬鹿な国民と国家

 

 

先生が足りない!東京・豊島区の小学校がウェブサイトで保護者に「教員紹介して」副校長が担任兼務

 

https://news.livedoor.com/article/detail/27049273/

 

夏休み中、東京・豊島区の小学校がウェブサイト上で、保護者に対し、「8月31日付で退職する教員もおり、現在3名の欠員状態が見込まれます」、「教員免許状をお持ちの知人の方を、紹介してくださいませんか」といった緊急の教員紹介を求めた。

 

教員不足により、1学期は2年2組の担任を副校長が務めたというこの小学校。都の教育委員会などに教員の補充を要請していたものの、うまく進まなかったという。そのため、2学期を前に、教員の紹介を保護者に要請する事態となったのだ。

 

この学校の保護者に話を聞くと、「教員が足りず、息子が図工の授業を受けることができなかった。また専門科目を担当している先生も担任を持つ事態になっている」という。

 

豊島区の教育委員会によると、教員補充の要請は区内の多くの小学校から寄せられていて、すべてに対応できていない状況だという。

 

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小学校を悩ます教員不足。八王子市の小学校を訪ねて現状を取材した。夏休み中の職員室には、先生たちでいっぱいだった。

 

この小学校では2023年、教員の1人が体調を崩して3カ月ほど休んだが、代わりの教員が見つからず、副校長が担任を務めるなどして対応した。同様のケースは、ほかの学校でも多いという。

 

八王子市立愛宕小学校の校長は「(それぞれの学校の)管理職の間でメールなどで情報をやりとりしながら、こういう人材を必要としていますというような情報をもらうことがありますので、お互いに情報を流しながら、どの学校も困ることがないように対応しているところです」と現状を説明した。

 

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教育評論家は、今回の保護者に対する緊急呼びかけについて、「追い詰められているなって心情は理解できます。だけど、ほかの学校でもばーとやっていったら、親御さんは不安になるんじゃないですかね」と語る。

 

続けて「子どもたちも見ますから。あれ?私たちの小学校こんなふうになってるのかと思ったら不安でしょうがないし。本当に、こんなことを各学校の校長先生にやらせるんじゃなくて、文科省とか政府のところで手を打たないといけないと思います」と提言した。

 

※以上、WEB記事より抜粋

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無意味有害なワクチンや不必要な隔離、過剰治療や苦しめるだけの延命に莫大な費用をかけまくり、一部の医療関係者や既得権者だけを儲けさせ続ける。一方で、将来世代への教育や社会福祉は放置どころか悪化の一途。

 

どこの国か知らないけれど、ほんと愚かで馬鹿な国。普通選挙制民主主義を採用しているらしいので、おそらく国民マジョリティの社会事象への関心が低く、呆けている人間が多いのだろう。

 

※「政治家が悪い!」と言ってる普通選挙制民主主義国の国民、基本的に馬鹿。馬鹿な政治家を選んでるマジョリティ国民が馬鹿。「全て責任取る!」と言っていたのに被害者に対して知らぬ存ぜぬで総裁選挙に立候補しているペテン師売国政治家とか論外なクズ。

 

 

困難を楽しめる若さ? 現状の課題

 

 

東ヨーロッパやコーカサス、中央アジア方面への1人旅には興味がある。

 

コーカサスの旅については、コレ↓を買って「やはり良いなぁ」と。

https://transit.ne.jp/2023/12/002587.html

 

しかし、なかなか旅立てない。

 

四半世紀前、20代だった頃は、バックパックに荷物を詰め、不安とワクワクを胸に、何度も飛行機に飛び乗ったものだけれど…

 

改めて思った。

「困難さを楽しめる」のが「若さ」だと。

 

若い頃は、東南アジア、南アジア、中東、アフリカ、北米など、場所を問わず「エイャッ」と駆け出して旅した。

 

その日暮らしのバックパッカー旅だったので、色んな困難、大変なことがあった。

 

けれど、そういう困難、大変なことを楽しめる、いや「楽しんでやるぞ!」という意欲があるのが「若さ」なんだと、この年齢になって分かってきた。

 

ノンビリと海外旅行をするだけの金銭的時間的な余裕は充分にある中年有閑隠居人だけれど、未知の土地において生じるであろう大変さや困難(不測の事態)に対して「面白そうだ」という感覚が今は湧いていない。

 

既に、1人旅でそれなりに色んな国や地域を旅をしてきたこと、海外での長期留学や長期滞在も数カ国体験してきたこと。

 

そのような経験済みが多くあるからという面も大いにあるだろうが、困難や大変さ(=心配や不安)が待ち受けているであろうバックパッカー1人旅へのワクワク感が若かった頃のようには湧いてこない。

 

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隠居から約3年。前職退職から一度も働いておらず、特に社会との関わりも持っていない。

 

けれど、復職や社会的な繋がりへの渇望もなく、特に不満もない。

 

退職時より名目資産(インフレ率は無視)は増え、家庭も妻と仲良く楽しくやっている。

 

少々困っていることといえば、持病の具合が微妙であることくらいだけれど、強いてあげると上記の「旅の困難、大変さを楽しんでやるぞ!」という感覚が湧いてこない点があるのかもしれない。

 

※では、ビジネスクラスのツアーで旅行すればいいじゃないか?と言われそうだけれど。根が倹約家だからか、ビジネスクラス利用は父母を連れての旅行以外では自分にはまだ贅沢だと考えてしまう。何より、1人でツアー参加は気分が乗らない。ツアー旅行は「旅行」であって「旅」ではないから。。

 

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そんなことを思った8月も下旬に向かう日の夕暮れ時。

 

 

山中暦日なし 虚構の通貨

 

 

不換通貨の虚構について改めて

 

 

ニューヨークダウ平均株価

838米ドル (1970年12月末)

37,689米ドル (2023年12月末)

半世紀で約44倍

 

 

ゴールド価格(オンス)

35米ドル(1944~1971年、ブレトンウッズ体制)

2,029米ドル(2023年12月平均)

半世紀で約58倍

 

 

※上記に関して補足

50年間保有を続けた場合、ゴールドにはない配当が株にはあるので、トータルリターンで考えた場合はダウ平均の方が上回る。

 

 

※※より重要なこと※※

不換通貨(紙切れ)でしかない米ドルは、株やゴールドからみると、おおよそ50年間で98%も価値が毀損している。

 

 

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私は四半世紀ほど前の20代だった頃から、価値の裏づけのない通貨(不換通貨)の虚構性に関して周りに伝え続けてきたが、聞く耳を持ち行動に移したのは両親だけだった。兄弟姉妹や親族、友人にも何度も話をしたが、今頃になって気づいた者も多く、未だに理解できていない者までいる。

 

この四半世紀で、母国であり主な滞在生活地でもある日本の物価は1.5〜2倍ほどになったが、保有資産の価値は3〜4倍になった。それほど上手くやれたわけではないけれど、なんとかインフレに抗して資産防衛を果たしてこれた。

 

同世代のマジョリティと比べると随分若い年齢で山中暦日無しの隠居生活に入ったけれど、インフレに対応できる程度の資産管理はこれからもノンビリとやっていきたいと思う。歴史に学ぶ。

 

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昨日は午前7時就寝、午前11時半起床。

 

本日は午前1時就寝、午前7時起床。

(その後、午後1時半〜3時半まで昼寝)

 

朝ごはんはベジタリアンカレー、昼ごはんは妻料理の豚肉塩麹キノコとレタスとピーマンの炒め。そして午後1時半現在、非常に眠くなってきた…

頭痛。熱い、非常に熱い。そして穏やかで平和な夜。

 

 

先日から帰省。

 

そして頭痛が昨日、今日と。

 

特に昨夜は酷かった。発熱はなし。

 

体調不良だったので、午後10時過ぎに就寝。

 

しかし、案の定、午前1時に目が覚めてから眠れず。

 

朝日が昇り、外も暑くなってきた午前7時過ぎになってやっと眠れた。

 

起きたのは正午ごろだったが、外は陽射しが異常に強く、少し日向を歩いただけで具合が悪くなった。

 

母を連れ、昼食と夕食の材料を買いに出かけたが、本当に陽の光が火のように熱く、直射日光には耐えられない。たくさんアイスクリームを買った。

 

昼食後は夕方まで昼寝。

 

夕方、陽が陰ってから犬の散歩に出ると、気持ちの良い強く涼しい風が吹いてきた。

 

母によると、数日前までは日が沈んでも暑かったが、最近になって日没から良い風が吹くようになったとのこと。

 

梨を食べ、有機無農薬栽培のトウモロコシを薄皮を残したまま3分+2分レンチン。優しい甘さでとても美味し。

 

そして、夕食は鶏肉の酢煮。オクラとシーチキンの和物。茄子のニンニク炒め。母の料理は旨い。

 

夜は9時から10時まで父母とテレビを観て過ごす。

 

穏やかで平和な良き夜でした。

 

 

天の川と立秋

 

 

帰省した

 

昨夜、風が非常に気持ちよかったので外に出てみた

 

度がキツめの眼鏡をかけて夜空を眺めると、頭上に天の川があった

 

年齢によって世界の見え方が変わってきてしまったと感じていたが、それは視力が落ちて見える世界がボンヤリとしてきてしまっただけかもしれない

 

レーシックでもしたら、また世界がハッキリ感じられるようになるのかもしれない

 

そんなことを考えました

 

※立秋とはよく言ったもので、明らかに風が変わった。7月下旬のベタベタムシムシとした拷問的な湿度から季節が大きく変化して、空気も風も清々しい。けど、やはり昼間は暑いね。特に陽射しは肌を焦がしてくる。

8月8日 なんとかなるからダイジョーブ 戦争と平和、暴騰と暴落、労働と隠居

 

 

仕事を辞めて主夫になってから3度目の夏

 

そういえば、ここ数日、蒸し暑さがマシになった気がする。空気のジットリした重さが和らぎ、風がかるく気持ち良い。最も酷暑だったのは梅雨明けからの7月下旬だったのかもしれない。このまま盆を越えれば、秋の気配も強まってくれるだろう。暑くても湿度が低いと気持ち良い。そういえば昨夜、妻が「コオロギが鳴いてる」と言っていた。

 

※「僕らの7日間戦争」。とても懐かしい。この宮沢りえが51歳…。そりゃ自分も中年になるわけだ…。。

角川が2週間限定で無料公開しているようです。

https://youtu.be/frm_VKnYdsQ?si=0mxevHACClrSlpt7

 

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昨日も午前3時頃に就寝して昼前に起きた。シリアル&牛乳を昼食として相場を覗き、のんびり過ごしてから午後3時過ぎから出発。

 

ジムで入浴、ストレッチ、脚の内外とバックの筋トレ。差し込む光の輝きが目に入り、なぜか10年以上前に住んでいた南半球での暮らしを思い出した。とても太陽が眩しい国で過ごした自由な1年。それほど昔のことと感じないのに、随分と時が過ぎたものだ。

 

ジムの後はトロロ蕎麦と寿司の食事をしてから、少し資格の勉強。しかし、強い眠気に襲われ早々に切り上げる。

 

家に帰って妻が作ってくれた豚肉とレタスの塩麹炒めを一緒に食べる。妻が好きなバレエ動画を一緒に鑑賞して、吉田都の動きに感動。

 

そんな具合に1日が過ぎた。

 

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一昨日、8月6日のことを思い出す。

 

ジムで流れていたテレビの映像をボンヤリと眺めていて気がついた。広島の原爆投下の日だ。しかし、大半のテレビ局は五輪関係かワイドショー的なクダラナイ話を放送しており、昼下がりのその時間に原爆や戦争関係を扱っていたのは民法1局だけだった。

 

昭和の戦争と敗戦、愚行と惨事の振り返りも遠くなってしまった。私が子どもだった頃は、良くも悪くも8月6日は戦争関連の話で埋め尽くされていたのに。先の戦争が遠くなればなるほど、次の戦争が近くなる。

 

多くの人は歴史から学ぼうとせず、過ちを繰り返す。戦争でも投資でも感染症でも同じ。学ばず考えず振り返らず、成長しない衆愚の愚行の繰り返し。

 

そうやって一生を籠の中でラットレースをしながら生きていく人が大半なのだと確信できたのが新コロ騒ぎの収穫だった。流行り病パニックだけでなく、SNSで眺めた投資界隈も同じだった。

 

眼前思考、欲深さ、自己思考の放棄。それが空気人間であり、イナゴ精神であり、ヒラメ羊。自分で考えず、自分で学ばず、自分で行動せず、他人と空気任せで、目の前の儲け話や流行りごとに飛びつく。

 

そのような衆愚マジョリティ人間がつくりだす共同幻想に惑わされないように気をつけて、これからも楽しく幸せに暮らしていきたいと思っています。

 

振り返ってみると私は運が良いので、なんとかなるからダイジョーブ(笑)