「みのたけ」の 教育・投資・生活etc

みのたけ中年の趣味用雑記メモ(非収益化ブログ)。倹約と投資で労働から卒業した隠居生活者。投資歴は20年ほど。

魚が先か、釣りが先か (長文すみません)

 

 

まず、この本『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』は「目から鱗」の良書なので、教育者でない人も読んでみてください。社会や教育というのは実に多様で、今の日本社会や教育について「!?」と思えるはずです。外国を知って初めて母国について深く考えたり気づいたりするのと同じ。他国の教育を知ると自国が見えてきます。

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スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む: 日本の大学生は何を感じたのか

スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む: 日本の大学生は何を感じたのか

 

 

簡単に内容が知りたい方は、過去に私が要点のみをまとめた記事をご覧ください。

apapoyo.hatenablog.jp

 

 

 

会社経営者の友人と教育についてSNSのコメント欄でやりとりしている中で、上記『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』を私が彼に薦め議論がさらに発展していった。

 

※自分にとっても有意義なやりとりだったので、一部を修正加筆してまとめてみました。以下

 

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【友】=友人のコメント

【私】= 私のコメント

 

 

友:おれが思うところでは、自分を含めて、日本人は、自己主張を言葉で明確にすることは苦手な人が多い気がするけど、諸外国と比べて、誰かに従いたい気持ちが強いとか、自律性や自主性がない、というわけではない、気がする。単に、各組織のマネジメントのあり方が違うだけで、日本人だから、ということは特段ないような気がする。気がするだけやけどね。。。

 

 

私:そうだね。君の意見に大部分同意。でも、日本の公立や私立や民間の教育現場を知った自分としては「そうは言ってもなぁ」ってところも多々あるだよね。
1.なんだかんだいっても、日本の小中公教育は「言うこときけ。言われたとおりにしとけ」的な部分がいっぱい。
2.その教育現場にいる教育者もそのように教育されてきた人たちが大半で、なんだかんだ言っても「先生たち自身が組織や上司の言うことをきいて仕事してる」。それにはそうなってしまう構造的な理由(日本社会と学校教育)がある。

 

私:日本人には自律性(我慢する力)はある気がするけど、自主性についてはどうかな。あと、多くの日本人には「誰かに従いたい」って点は、あると思うけどなぁ=責任回避の処世術。もしくは、そのように育たざるを得ない社会が日本にはある←詳しくは『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』を読んでみて。少なくとも、日本の社会科教育(従う人をつくる教育)とスウェーデンの社会科教育(自分で考え自分で決めて自分で行動する民主主義を担う国民を育む教育)はまったく違う。

 

私:日本の教育現場(義務教育課程の公立教師・職員室)は
・論理より感情
・効率より慣習
・行動より沈黙
・主張より空気
・実績より年数
そんな感じで、後者が優位な気がする。当然、そこで育つ子どもたちも自然とそういう「処世術」を身につけていっている気がする。
同じ教育現場でも民間の大手塾は違った。少なくとも私が働いた大手塾は、論理・効率・行動・主張・実績が優位だった。

 

 

友:2章まで読んだ。政治・経済のテキスト、って感じ。たしかにおもろい。民主制とか共和制とかの政治学の言葉の定義がどうなされているのか後半も楽しみ。

 

 

私:それが「小学生」の教科書だからねぇ。日本では「大学生」ですら、持っているか持っていないかという視点や意識を、小学生時点でも育もうというスウェーデンの政策(国の在り方)が感じ取れるよね。もし手に入るなら、日本の小学5,6年生の社会の教科書と見比べてみると面白いよ。極論すれば、そこにある差違が日本と欧米各国との国民意識(在り方やヤリ方)の差違だと考えることができると思う。ホントは、スウェーデンの社会科教科書が書いているような授業がしたいんだけど、国や学校の在り方や考え方(学習指導要領や教科書、上司・同僚教員)に縛られる部分が大すぎますわ。ちょこちょことはやってますけどね(笑)

 

 

友:うん、昨日、ちょうど息子が小学生なので社会科の教科書をみてみた。各地域の経済的特徴と、地理的な観点での話題が多い印象でした。確かに、差はあるね。

 

 

私:日本では基本的に、小5「日本地理」、小6「日本史&ちょこっと政治」。私は政治が大事だと思っているから、過去には明治維新くらいから戦後日本まで力を入れて単元計画つくって実践したりしたこともあるけど。普通の公立だと、日本史やって、政治は三権分立あたりを駆け足でやってオワリとか普通にあるからね…。公立だと、教科の中身を深く掘り下げるかわりに「運動会の軍隊式行進」や「卒業式の呼びかけ特訓」とかに時間使うから…。それが日本の社会教育=「周りに合わせる」「上の言うことは黙って従う」という市民育成方法なんでしょう(苦笑)

 

 

友:政治というか、現代社会と戦争・国防・治安維持・宗教などについて義務教育課程できっちり教えて欲しいなーと、思ってます。そして、運動会は、要らん気がしてます。幼稚園は、運動会があってもいいかなーと思うけど。スウェーデンの。。。を全部読んだ。わりと、いいなと思ったけど、息子の社会科の教科書もなかなか面白いので、いまの日本の小学生の教科書に加えて、このスウェーデンの教科書みたいなのが加わるのがよいのかなと、思ったわ。そんで、時間が足りないなら運動会をやめればいいんじゃないかなと。。

 

 

私:時間はいくらあっても足りない。しかし、授業時間の制約はもの凄い。公立、その教科書の中身すらちゃんとやれてないと思うよ。それは先生悪くない。日本の学校教育の在り方と国民意識の問題。小学校ですら、なんだかんだ言って「知識を教える」ってことに重点が置かれている。中高は言わずもがな。日本とスウェーデン社会科との最も大きな違いは「知識をつけさせる」か「考える習慣づけをするか」。この「狙いの違い」にあると思う。もうさ、ググりゃでてくることはさ「ググる(調べる。情報を精査する)訓練」する方が大事なのにさ。日本はネット時代になっても、未だに「暗記中心の教育」なのさ、結局そこ。小学校はだいぶマシだけどね。

 

 

友:んー、ぐぐるにしても、一定の量と質を伴った知識の体系が自分の中に無いと、うまくはググれないんじゃない? 適切な検索キーワードと組み合わせを考え出して、かつ出てきた検索結果を適切に評価するのは、やっぱり自分がある程度詳しい話題とか事柄でないと難しいと思う。なので、おれは小学校は詰め込みで良いような気がするなぁ。

 

 

私:一定量の知識がないとググれない、同意。小学校は詰め込み。それもアリだと思う、同意。でもね、勤務先はタブレットとネット使って調べ学習することも多いから分かるけど「一定の量の質を伴った知識の体系がないとググれない」ってのは、いささか子どもの知的欲求をバカにしすぎかと思うよ。むしろ、知識の量も質もないからググりまくるという場合もある。グーグルの使い方とタイピングの仕方さえ覚えたら、ずっとネットサーフィンし続けて、自分の興味関心を追及する子も多い。気づいたら、親や教師も知らないことを調べて知っていたなんてことも普通にありうる。


私:何より、実際に使いながらでないと、ググり方も精査の仕方も身につかないから。初等段階でググる(調べる、精査する)を身につけさせておけば、中高では「自分で考えて自分で調べて自分でまとめる」という「学びの基礎部分」を教師抜きでできる。すると、学校という集団での学びの場では「相互交流(他者の意見や調査から学んだり気づいたりする」というステップにすすめる。そうでないと、小→中→高と結局教えてもらい続けるという「受け身ループ」から抜け出せない「釣った魚を与えないといけない」という古い考えから抜け出し、「子どもだからとバカにせず、さっさと釣り方を教える」という方法をとらないと、いつまでたっても次のステップにすすめないかもよ。教えること(知識)は無限にあるから。どこで充分に「一定の量と質の知識を与えた」と教師が感じられるか。この考え方をしていると、いつまでたっても終わりがなく、次にすすめない。これは現場を知っている人間の意見ね。


私:あと、詰め込みで学ぶ知識というのは学校に来なくても、ネットやIT(タブレット式自習学習ソフトなど)でできるんだよね。詰め込み教育するなら、今はネットやITを使った教育の方がコンテンツが良質で面白いから、そこらへんの担任がするつまんない授業で詰め込み教育するより、優れた学習ソフトや動画で「子どもが楽しく自分のペースで学んだ方がいい」となる。実際、詰め込み型の授業なら、私の授業より良質のタブレット教育か、教育用につくりこまれたyoutube の授業の方が優れているわ。勝てねぇ。


私:だから「詰め込める=知識伝達」はITにやらせて、学校(集団での学びの場)では、そこでしかできない相互交流や体験による気づきや発見の授業をしないと意味がないと思ってる。同僚と話しているのは「知識の伝達と定着(反復学習や遡行学習)はIT(タブレット学習)でやって、学校の授業では集団活動や発表、相互交流の授業をしていく必要があるよね」ってこと。実際「反転授業」っていう教育手法があるけど、その考え方にやや近いかなと思う。「教えるではなく育む」を意識して、教師がなるべくファシリテーターになる。この「児童生徒中心の活動・体験型授業」なら、私はそれなりにできてると思う。これは現状AIやITではできない教育だしね。この教育においても「発問」は重要。「スウェーデン社会科…本」は良質の発問だらけだった。

私:そうそう、詰め込み教育でIT利用ナシなら、学校に行かずに塾いった方がいい。入れる知識の量が全然違う。でもね、塾で詰め込み式教育(受け身教育)ガッツリで有名中学入った子どもの何割かは、残念な中高生活を送る。自分で考えて自分で決めるってことができない人になっちゃってる幼少期にガッツリ埋め込まれた「他人任せで言われたことをする」という習慣は、なかなか治らない

私:詰め込み教育の場合、教師の価値は極端に言うと「やらんと怒るぞ! 覚えないと怒るぞ! ちゃんと勉強しないと将来大変なことになるからやれ!」ていう強制者の役割になっちゃうかなぁ。だって、詰め込み教育を行う場合は子どもの自発性を促し、自分から学ぶという姿勢を形成する構造がないからね。カリスマ塾講師みたいに、与える方授業が超絶ウマければ別だけど、そんな学校教員はほぼいない…。

 

 

友:そういうもんなのかー。ちょっとピンとこないけど、それだけに真実味があるような気がする。。。なんとなく、小中レベルは、自分で調べさせるにしてもネットではなくて図書館とかで本をベースにさせた方がええような気がするねんなー。めちゃ情報処理能力のたかい一部の生徒を除けば、ネットサーフィンで得られる断片的な情報を自分で体系立てて応用できるとは思われへんねんな。思考がオールドタイプなのか。。

 

 

私:もちろん、もちろん。書籍は、ネットよりまとめてくれていて、調べやすい場合も多い。書籍を使った調べ学習も大事だから、ネット利用と同じくらいやってるよ、特にタイピングを覚えていない低中学年くらいまでは。でも、教師がどの書籍を与えるか(複数選択肢として、どれとどれとどの本を児童に提示するか)ということは、児童の学習と理解においても非常に重要。同じテーマやキーワードの児童用書籍であっても、子どもにとってはネット以上に調べにくい読みにくい本がいっぱいあるから。

私:あと、調べ学習となると「詰め込み教育」ではなく、活動型の「育む教育」だから、その「調べ活動」に向かわせるための「発問」が重要になる。本であっても、ネットであっても、良質の発問と教師の下準備のもとに「児童が自分から学びに向かう姿」をいかにつくりだすかが大事。企業経営における人材育成と一緒じゃないかな。

私:「オラ、これやれあれやれ、これ覚えろあれも覚えろ、オレの言うとおりにしろ!」だと人は育たないよね。その人材が自ら育っていくような「環境づくり」が経営者にとって大事。学級経営も企業経営と、そんなに変わらない気がするんだよなぁ。でも、「とにかく言うことを聞く従う人材」か「自分で考えて自分で行動する人材」が欲しいかは企業によると思うけど。