誤解を恐れずに言うと
「教育と洗脳に大差はない」と思ってます
子どもらにも、中高生はもちろん、小学生に教える時ですら
「先生の言うことがすべて正解と思わないように。先生も間違う。先生も知らないことがいっぱいある。大事なのは、自分で調べて自分で考えて自分で決めること」 と伝えます
大事な点として↑この考えを伝えていることも洗脳行為。子どもたち(特に高校生くらい)には、この点も説明してます。
「先生が今言ったことも疑いなよ」、と
すごく分かりやすく言うと
「パッシブ」か「アクティブ」か
「誰かに教えられる」←洗脳になる
「自分から取りに行く」←自己教育(選別的自己洗脳ですが・笑)
なのかと
日本の学校教育は、ほぼ洗脳かな(全部は言い過ぎカモだけど)
※↑これは学校の先生が悪いのではなく今の日本社会が抱えている構造的な問題だと思います
Twitterの株・投資クラにしても、新コロ自粛警察にしても、右派左派・親安倍反安倍にしても、「思考停止脳」の「洗脳されるの大好きっ子ちゃん」の多いこと多いこと
そういう「思考停止・奴隷脳」の人達にとっては「誰が」が重要なんですよね。逆に言うと、「何を」を検討せずに「誰が」で決める人は思考停止の奴隷脳と言えるのかもしれません。。
「誰が」を重視する人達は「自分で考える習慣がない」か「自分で考える知識がないか」もしくはその両方の人達(=思考停止脳者=奴隷脳者)なのかな?
※私は知識はないですが、人に従うのが好きではないです(苦笑)
私は基本是々非々なので、自分と同じポジションとか違うポジションとかで仲間・敵とか、擁護する・非難するを分けません。同ポジションでも間違っていると思えば非難しますし、違うポジションでも納得のいく内容や中身があると思えば凄いな!って、つい称賛してしまいます。
個人的には
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「人」ではなく「中身」
「誰が」ではなく「何を」
これ大事かと
右派でも左派でも、日本株でも米国株でも、VTでもVOOでもVWOでも、どのポジションからの、どんな主張であろうが、中身があるなら私は好きです ^_^
逆に、ひたすら誰かの意見だけを追っかけて妄信しているイナゴ族は気持ち悪いです。で、そんな人たちが多数になって投票による多数決で政治が間違った方向にいくと、コッチも迷惑するので、とてもイヤです。
「新コロ自粛なし!勝手に自己責任で動けや!80歳以上の高齢者と65歳以上に既往歴ある人は後回し!(単純化して表現してます)」という自己責任政策を採用したスウェーデンという個性的な国の社会科教育を知ると、なぜこの政策が採用できたのか(=多数の国民が納得したのか)が分かると思いますよ。すごく面白い本でした。
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上記書籍について、以前ブログにも書いたけど「自分で」本読んで「自分で」考えてほしいです!
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