10代の頃から、ずっと考えていること
それは「選択死」という制度を国家が整備すべきだということ
日本国における自殺者数は2万人強で推移しているが
生きることに興味を持っていない人、死ねないから生きている人は、自殺者の数倍から数十倍いるハズだと私は感じている
「死にたい」けど
「痛いとか苦しいのがヤダ」から「死ねない」
老若男女問わず、そういう人は多いだろう
無気力に「ただ生きている」状態であること、私はそれを否定しない
しかし、無理して生きているというのは
その個人にとっても国家・社会にとっても喜ばしい状態ではない
既に亡くなった祖母は、晩年、病気の治療による副作用のせいで体が不自由で「もういい、そんな長生きしなくていい。いつ死んでもいい」と言っていた
高齢者や重い病気を抱えている人の中には「死ねるなら死にたい」という思いを持つ人も少なくないだろう
実際、私も若い頃に入院手術の経験があり、そのときに「こんなおもいをするくらいなら、痛くなく苦しくもなく、さっさと死にたい。全身麻酔かけてもらってる状態で、そのまま逝かせてほしい」と思ったし、今でも時々そう思う
だから
国家が「選択死」を制度として整備すべきだと思う
これは「希望の選択肢」
〇公的かつ専門的な手続きと機関で、痛くも苦しくもなく気持ちよく幸せに死ねる「しくみ」を構築
一方、悪用されないように縛りとして
・過去に凶悪犯罪歴がある者は「選択死」を一生利用できない
・保険金犯罪に悪用されないように「選択死」利用の場合は死亡保険が適用されない
・未成年のうちは「選択死」の利用は原則できない(特例を除く)
など、各種の規定を設け慎重な制度設計が必要にはなると思う
だが
うまく制度設計すれば、この「選択死制度」は絶対に人間世界をより良く変えるパラダイムシフトになる
なぜなら
「死にたい人は、痛くも苦しくもなく死ぬことができる」
(無理して生きなくても良い)
と、同時に
「生きたい人は、より生きやすくなる」
(無理して生きている人の分まで分担させられている不要な社会負担を押し付けられなくなる)
このように
まっとうに生きている人すべてにとって益になる制度
それが、私が提唱する「選択死」
生きたい人が生きる
死にたい人は死ねる
そんなステキな社会づくりのために
「選択死」の公的制度が必要
※少なくとも「長寿至上主義」&「生きること強制」が「当たり前(常識)」という前提で社会が動いていることに疑問を持つ必要性は大いにあると思います
私は20年間以上「選択死」の公的制度化について考えています。この制度が公に整備されたら利用したい者の1人