「市民的資質」を支えるものは、社会についての正確な認識。まずは、実態や問題の原因に関する正確な情報が必要。この意味で「社会認識」は「事実認識」であり、豊かで正確な「事実認識」によって「社会的課題」に取り組むための「市民的資質」は支えられる。
「社会的課題」の原因には複雑な要因が絡んでいることが多い。この意味では「社会認識」は「総合的認識」であり、多面的・多角的な総合的判断力によって「市民的資質」は支えられる。
このようにみると、「社会認識」と分けられた「市民的資質」があるのではなく、社会についてよく分かっていること、社会について深く広く考えることができるということが、「市民的資質」そのものだと考えることもできる。
「市民」とは「国家・社会の形成者」であり、さまざまな「社会集団」のあるべき関係性を、自己と「社会集団」の利害を超えて客観的に考察し、判断できる資質を有する者。
社会は、国家を含めて、さまざまな「社会集団」によって構成され、私たちはいくつもの「社会集団」に帰属して生きている。「社会集団」は相互の関係性と利害の一致・不一致の中に存在している。
「国家・社会の形成者」である私たち「市民」は、国家政策について主体的に考え、判断する力を持たなければならない。「市民的資質」とは、国民主権の下で、自分たちの国家が、どのような方向に進むべきかを、自分たちで主体的に判断していく資質。
視点を変えていうと、それは国家や国家の政策を「対象化して考える」ことのできる力。「国家を対象化してみる」ということは、国家を家族・地域社会・学校・企業・法人・任意団体・都道府県・国際社会などの「社会集団」の1つとして、それらとの関係性においてみるということ。
市民としての国民を目指していきたいと思います。
な~んて(笑)