あけまして、おめでとうございます。昨年は新型コ〇ナちゃんで困るな、なんていう方も多かった2020年でしたでしょうか? 私は、非日常が好きなタイプなので、コロナ禍のユニークな日常をけっこう楽しく過ごした幸せ系だったかもしれません。
Twitterの方でも、このブログでも、時々書いているのですが、今の時代、先進国の中でも恵まれている部類に入る日本国に日本人として生まれただけで、十分に幸せ、幸運、ラッキーです ^_^
今日読んでいる本は、中村哲さんの「アフガニスタンの診療所から」。初版は27年前、内容は約40年前のソ連によるアフガニスタン侵攻前後からの中村医師のアフガニスタン・パキスタンでの活動や地域の様子を描いています。
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世界の報道機関は、うわべの政治的動きにまどわされ、カブール以外の全地域で展開している大きな平和へのうねりを伝えることができなかった。
現在の動きは、冷戦後の米ロの無能の象徴である。まぎれもなく、一つの時代の終焉であった。
あのとき、だれが今この明るい帰郷の群れを想像したであろう。過去の悪夢を知る者には、夢にまで見た光景であった。
慣れというものは恐ろしい。日本で我われが享受している医療がいかに高価で贅沢なものであるか、私の理解をこえるものがあった。
こざかしい日本人論をこえて、人はやはり人であるという、当然だが妙な確信を得てほっとする。
すべてのいきさつは、ただ縁のよりあわさる摂理である。
「人は生きているのではなく、生かされているのだ」としみじみ思う。
我われのアジア観・世界観は、ほんのここ1世紀、「文明開化」とともに我われの頭脳の中に移植され、戦後教育によって強化されたもの。
単一の言語で、比較的等質化された人びとをまとめうる国家は例外中の例外。
国家とは付け足しの権威であり、自分の生活を律する秩序とは考えられていないのである。
何をもって「教育」と呼ぶかは別。「就学率」にしろ「識字率」にしろ、これらを豊かさと進歩の尺度とするかどうかは別問題。
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このような、中村哲医師の印象的な言葉が並びます。
今でこそ、争いの絶えない不安定なアフガニスタンですが、昔は世界の主要交通路であり、海路が主力になる18世紀まで、繁栄を誇る世界貿易の要衝でした。
いつの時代に、どこに生まれるか、それを選ぶことはできませんが、少なくとも、今の時代に、日本国に、日本人として生まれたことに感謝して、「ありがとうございます!」の気持ちで、今年も「色々とやってみよう!」、「自分流で、なんとかなる!」と感じながら、楽しく2021年、元日の初ブログとしたいと思います ^_^
読んでいただき、ありがとうございます。今年も、よろしくお願いいたします。