持って生まれた「気質」と生まれ育った「環境」によって、人それぞれ「当たり前」に大きな差がある。
これは、思っている以上に大きい。すべての判断(行動)の土台となる「感覚」の差なので、同じ事柄であっても、「当たり前」が異なると人によって大きく判断(行動)が変わってくる。
先の新コロ大社会実験でも証明されたし、私自身が中年まで生きてきて、リアル周りの友人知人の生き様や在り方、人生における判断を観察してやっと実感として分かってきた。
各個人個人で、あまりにも「当たり前」に差がある。だから相互理解が難しいだけでなく、そもそも言っていることやっていることが本当の意味では理解できていないことが大半。
私の場合は、「当たり前」が長期視点、長期思考で、何をやるにしても良くも悪くも先まで想像してしまってから眼の前の行動や判断に落とし込むということが多い。
全く逆に、先のことなんて一切考えず、目先のことにひたすら真っすぐ体当たりでぶつかっていくタイプの人もいる。
私は、子どもの頃からお金様が大好きだけれど、金なんてどうでもいいから兎に角やりたいことをやりたい、という思考の人もいる。
自分の子どもをつくるということに関しても、私は「子どもをつくっても、私だけでなく、その子も100年足らずで消滅する。だから、己の欲によって命をつくって生を背負わせるなんて…」と10代の頃から感じてきた。
しかし、世の中の人間には「子どもかわいい!」「子どもほしい!」「自分の子がほしい!」という単なる物欲所有欲や、性欲のまま「ヤッてたらデキた」という獣としての行動によって子どもをつくっている人が驚くほど多い。
「当たり前の違い」というのは、道徳観や宗教観など社会教育(生育環境)によっての「洗脳色」の違いである部分もあるけれど、もっと根本的な「持って生まれた感覚の違い(おそらく遺伝子レベルでの感覚の違い)」であることも多い。
※前者は後天的・環境、後者は先天的・気質
洗脳色(環境)の違いであれば、情報(教育)によって再洗脳すれば同じような「当たり前」を揃えることは可能だけれど、「持って生まれた感覚(気質)の違いによる当たり前の違い」は隔たりを埋めることが難しい。
これは、飛び抜けて営業成績が良い人間の手法や考え方を、その他の一般的な営業マンにインストール(教育)しようとしても成果が出ないことが多いことからも分かる。
大手企業で10年ほど全社営業トップ10に入り続けている友人がいるが、プレイングマネージャーとして部下に同じことをさせても、マネジメント兼務にも関わらず常に彼が事業部の売上トップであり続け、右腕程度に育つ部下も10人に1人でてくるかでどうからしい。
彼のプライベートを四半世紀知っている私から見ると、彼の心身の強さは普通ではなく、学生時代から中年の今になっても止まることなく常に動き回っており、仕事と私事の間に境がないことは「当たり前」である(休日も営業先を訪問している)。
心身を酷使するということも、プライベートなく働くということも、彼にとっては無理しているのではなく「当たり前(自然体=生来の気質)」なのだが、私から見ると「異常」だと思う。
これは生まれ持った「当たり前の違い(気質の違い)」なので、その【「当たり前の違い」から生まれる判断の違い、行動の差】を教育や環境で埋めることは非常に難しい。
世の中(人間社会)は、個体間でこのような「生まれ持った当たり前の感覚の違い(遺伝的気質の違い)」があるので、同じように見える人間群が同じような時代、同じような環境に置かれても、個人個人で判断や行動に差が生まれ、結果として生き方(人生)にも非常に大きな違いが生じるのだなぁ、と中年になって実感を伴った理解に至れた。
そして、この「感覚差」は説明してもたいてい理解し合えることはない。そして、その結果として生じている判断や行動をマネすることも容易でない。
だから、大抵のフォロアー(イナゴ気質)は子供の頃から大人になっても従属的な生き方を「自ら選び」続けている。一方で、良くも悪くもイノベーターの大半は子供の頃からイノベーター(いわゆる「浮いていた」)だったケースが多いと感じる。
それは、各自が持って生まれた「当たり前」の感覚と思考能力&行動の土台となる「当たり前」の身体能力が異なるため、「世界の見え方、感じ方」が人それぞれ大いに違うからなのだろう。