「みのたけ」の 教育・投資・生活etc

可能なら皆幸せな社会が良いけど、実際むずかしいよね …(苦笑

幸せに生きる「身の丈」の素晴らしい暮らし方 

 

 

幸せを感じるにはコツがあります

普段から身の丈に合った生活をすることは当たり前

 

 

大事なのは

身の丈より少し下の水準で暮らすこと」

 

 

例えば

年収300万:平均交際費が月3万なら→2万で日々を楽しむ

年収500万:平均的家賃が月7万なら→5万の家賃で暮らす

純資産が1億になっても→資産1000万しかなかったころと同じような生活を続ける

 

 

このように

意識して自分の身の丈よりやや下の水準で普段の生活を送る。

 

 

すると、ちょっとした贅沢で「幸せを感じる」ことができます。

 

 

毎日贅沢している人は、その贅沢が「当たり前」になってしまい、そこに「幸せ」を感じることができなくなってしまいます

 

 

なぜなら

良くも悪くも人は慣れてしまう生き物だから。

 

 

逆に、普段は「控えめな暮らし(身の丈以下の生活)」をしておくと、ちょっとした贅沢を味わう機会があると、とても幸せを感じることができます。

 

 

人は「差違」に敏感なので

その差違を逆の視点から利用しようということ。

 

 

意識して身の丈よりやや下の暮らしで生活を送って、

ちょいな贅沢で「幸せ幸せ」と感じて生きていきましょう

 

 

「幸せを感じる仕組み化」

↑自分の暮らしに組み込んでいくとよいですね

 

 

すると

あら不思議

 

いつの間にか

カンタン&幸せに「資産1億円達成」しちゃいますよ  ^_^

 

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【2020年7月1日追記以下】

負け組と言われる人達は「自分から負け組になることを選んでいる」

勝ち組と言われる人達には、確かに「運の部分もある」

しかし、勝ちの立場の「持続」は「勇気と挑戦、努力と根性、忍耐と我慢、知恵と工夫」で積みあげてきたナニかがあるからできる

そこには他責もクレクレもない

と、誰かが言っていたとか言っていないとか…

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みのたけ」で楽しみ幸せ感じながら「いまをいきる」 ^_^

 

ありがとうございます。

 

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幸せ感謝ありがとうございます ^_^

 

清貧の思想 (文春文庫)

清貧の思想 (文春文庫)

 

 

 

【流行?】FIREとかノマドとか起業とかNPOとかQYLDとかサラリーマン不動産投機とか

 

 

久々にPCを開けたので、他者のはてなブログを眺めてみた。私は過去に遡ってみることが好き。するとQYLDの文字が。

 

昨年の今頃だったか、一昨年の今頃だったか正確には思い出せないが、ツイッターのバ株クラでQYLDが「高配当!」といって騒がれていた。

 

当時から私は「元本毀損型(タコ足喰い)のQYLDは、10年以上前にジャパの情弱騙しまくった毎月分配型投資信託と同じクズETF。こんなモノ考えなくてもゴミETFと分かるのに、なぜ褒めているのか? まして買うとかウマシカなのか?」と何度か忠告した。

 

で、今眺めてみると、大半のバ株クラの投機ウマシカ達は、案の定QYLDを手放している。

 

苦笑しかない。

 

ウマシカは歴史から学ばない。

いや、ウマシカは歴史を学ぼうともしない。

 

歴史と言っても、こういう類は10年遡って眺めるだけでも勉強になる。数十年程度でも十分な学びがある。

 

私が学生だった頃は、起業ブーム、NPOブームだった。少なくない数の友人知人が、学生として起業したり、NPOを設立したりしていた。

 

その後、20年以上を経て、それら学生起業家、学生NPO立ち上げ人を眺めてみる。非常に高い確率で起業した会社はなくなっていたり、立ち上げたNPO運営に苦心を続けていたりで、豊かでない生活を送っている人が目立つ。

 

当時の私は「いきなり学生起業やNPO設立の道に進まず、まずは大企業に新卒就職して社会を知り資金を貯め、それでもやりたい!と感じ続けていたら起業やNPO立ち上げに進めば良いのでは?」と助言したが、聞く耳を持たない人達がいた。

 

私自身、学生時代の後半は海外にいたので、そのまま他国で学び続け就職も海外で、と考えもした。しかし、日本独自の「新卒カード」が使えるのは1度きりと考えた結果、いったん日本に戻って就活を行い、業界では大きめの企業に新卒就職した。

 

最初の就職先では色々と勉強させてもらい、良い経験ができたと思っている。数年間の自分の働きより貰った給料や経験の方が多かったと今でも思う。話が逸れた…

 

 

閑話休題

 

何が言いたいかというと、

 

『流行なんてのはゴミだ』

 

ということ。

 

数年前には「ノマド」なんて言葉と概念が流行していたし、最近だと「FIRE」だった。

 

その前には「サラリーマン大家」なんていうトンデモない嵌め込みも流行していた。

 

学生起業もNPOブームでも同じようなものだった。

 

株式投資だとARKKのキャシー・ウッドなんて2年前はもてはやされまくっていたが、今ではどうだ?

 

新コロ怖い怖いも、ワクチンワクワクも同じだっただろう。

 

流行モノはゴミだ。

 

 

※補足

流行・流行モノに「真っ先に喰らいついて真っ先に離脱できる(流行を利用して益を得られる)」タイプの人にとっては良い点もあるかもしれない。けれど、難易度は非常に高いと思う。たいていの凡人(私を含め)は、流行という怪物には喰われるだけだから手を出さないのが賢明と。

 

 

 

「大学生の春休み」マイノリティー側で本気で抗ったことある?

 

飲み込まれるか、飲み込むか?

 

明治維新の気骨と大東亜戦争

 

現代中華のチベウイ香港、大日本帝国アイヌ琉球、違いは?

 

実存は本質に先立つ

 

大抵の人は「他の人と違うこと」ができない。全員参加型の社会大実験だった新コロにおいて、それは「ノーマスクやノーワクチン」だった。空気人間は新コロ終わって1年も経過した今でも屋外でマスクしているらしい。基本屋外ノーマスクだった私だけれど、春の花粉のこの時期は毎年屋外マスク優等生(笑)。何度も言うけど、花粉症のほうが新コロより深刻だよ。

 

投資においては「目先でドカンを狙わず、コツコツ積み重ねる投資の継続」。眼前思考のマジョリティは空気人間だからか「当たり前」のことができないらしい。原因は、投資に手を出す人間の大半は生来の投機ギャンブル好きで、そこには分母偏りがあるからだろうか。

 

旅から帰ってきてからは「大学生の春休み」のような緩く穏やかな毎日をすごしています。サクッと旅人に戻りたい。

 

旅でない日常と同類探し『旅人世界(自遊社会)と奴隷世界(空気社会)』

 

 

中年バックパッカー旅が面白かった理由の1つが分かった。

 

(旅人ではない)コッチの世界では、自分みたいに「時間に余裕を持って自由な暮らしをしている人」(との出会い)が極端に少ない。

 

逆に、旅をしていると「同類」に会える確率がかなり高くなる。

 

私の場合は、時間だけでなくお金にも余裕があるが、倹約バックパッカー旅のスタイルが好きなので出会う人達は「時間余裕系」が大半だ。

 

コノ国(ジャパ)で時間余裕系の旅をしている(学生ではない)大人は大きく2種類に分けられる。

 

それは

1.時間には余裕があるけれどお金には余裕のない沈没系の人達(社会不適合で逃げや諦めの世界にいる人達)

2.時間にもお金にも余裕があるFIRE自由民的な人達(資産形成やキャリア形成済みで社会を遊ぶ人達)

 

で、2の人達も少なからずバックパッカー的な旅をしているということを前回の旅で知った。

 

お金に余裕のある人達は、自分のストックやフローのことを明確に話すことはほぼないけれど、話し込んだり、仲良くなったりすると、色々と分かってくる。

 

一緒に過ごしていれば、お金に余裕があるかどうかは振る舞い(お金の使い方、お金に関することへの気に仕方)で分かってくる。

 

お金があっても、豪奢なホテルではなく、バックパッカー系のゲストハウスを利用している人達とは感覚が合うので愉快だ。

 

バックパッカー旅の中には、自分と同様に「時間にもお金にも余裕があるけれど無駄使いはしない」人達=「同類」がチラホラいたのだ。

 

だから前回の久々なバックパッカー旅は「中年自遊人となった今の私」にとっても面白かったのだ、とコッチに帰ってきて気づいた。

 

久々のバックパッカー的なナニカ⑦「旅の一時的な完了とハードボイルド・ワンダーランド」

 

今回の旅は今日で一旦完了。

 

久々の本格的なバックパッカースタイルの旅だったので、ドミトリーや宿の語らいの場、そして出先でも少なからぬ旅人達との出会いがあった。

 

バックパッカーには一見するとハードボイルドな感じの人がチラホラいる。やってる旅も結構凄かったりする。

 

だけど、話してみると、大半の旅人はハードボイルドなんかではなく、気さくで話好きな人達。

 

たまに、あっち系やソッチ系の人がいて、そういう人達は、確かにハードボイルドだったりするかもだけど。

 

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旅人達とのやり取りを通して気づいたのが「やはり自分は旅人気質なのだ」ということ。

 

ここ10年前後、職業人・専門職者として「固定された(固定した)生活」をしていたからだろうか、「旅人としての感覚感性」を失いつつあったけれど、今回のバックパッカー旅で旅人としての感覚感性が幾割か戻った気がする。

 

中年になってのバックパッカー旅は、若い頃より体力的には多少ハードな面があるけれど、衰えかけていた旅への興味関心、「未知なる場所への情熱」のようなモノが今回の旅で蘇ってきたので、とても嬉しい。

 

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古希を過ぎてもバックパッカーしている、元士官なのに偉ぶらないTさん。同じく古希を過ぎても体を鍛え続け、衰えない異性への情熱と行動を続けるNさん。

 

都内の住まいを断舎離して国内ノマド的な生活を始めたインターナショナルなヨガ好き還暦超えの女性。同じく還暦を過ぎ両親の介護を終えてからバックパッカー的な旅を始めた黒○徹子さんのようにマシンガン喋りをされるT県出身の女性。

 

大手企業で海外駐在5年以上を経験、不惑を過ぎて退職、自遊民な旅人としての生き方を進み始めたNさん。下K氏の書籍に感化されアジア放浪を始め、既に10年前から東南アジア放浪者として生きているSさん。

 

日本中の2000以上の鉄道駅で乗降車を繰り広げ、そのデータ化、ブログ化を進めているSくん。ワイルドな海岸踏破や縦断制覇をビバークしながらやってしまった鉄人Tさん。

 

個性的なゲストハウスや宿の、これまた個性的なオーナー経営者の皆さんや、そのご家族やそこで働く皆さん。

 

日本に興味を持ち、日本を訪れ、日本を留学先や避難先として選んでくれた外国人の方々。特に、楽しくやり取りしてくれたR、H、M、S。そして戦時国から逃れ心の葛藤を抱えつつも重たい内容を話してくれたM。

 

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己で再び道を歩みはじめた旅という行動を通し、様々な人との交流が私に新たなる強い活力と目覚めを与えてくれた。ありがとうございます。

 

やはり、世界は面白く、旅も面白い!

久々のバックパッカー的なナニカ⑥「冒険と旅人」

 

バッパー旅も3週間近くになり、元気になってきた!(笑)

 

国内といえども、本格的なバックパッカー旅は10年ぶりどころではなかったので「取り戻す」までに20日間ほどかかったようだ。

 

やっとドミトリーやボロ宿、個性的な宿を泊まり歩く、リュックサック1つだけを背負った「旅人としての日常」に慣れてきたのかもしれない。別の言い方をすると「旅が日常になった」ともいえるか。

 

もしくは、先日から数日間、かなり野性味溢れる大自然の土地で、ボロボロの原付きに跨って、未舗装ガタガタ道なんかも攻めまくり、ヤンチャしまくったから元気になってきたのかもしれない。

 

「旅人」たちとの出会いもエネルギー源になっている気もするが、それはまた別の話。南米も興味あるけれど、個人的には東ヨーロッパやコーカサスの方が、より行ってみたいカナ。

 

 

 

 

久々のバックパッカー的なナニカ⑤「中年と疲労」

 

私、若い頃は…

 

なんて話すと、いかにも中年か老害の代表例みたいなのですが…

 

10代、20代の頃は、25リットル前後の小さなリュックサック1つ背負い、流行り始めていた東南アジアやインドだけでなく、アフリカや中東を長期旅行していたバックパッカーでした。

 

泊まる宿は1泊あたり数百円は当たり前。ときには1泊が数十円なんていう超激安のドミトリーや屋根裏部屋(物置)などを海外で泊まり歩き。ノミやダニはもちろん、南京虫にヤラれて全身トンデモないことになったこともありました。

 

外国人が滅多に利用しない陸路国境超えのイミグレーションで不審に思われたのか、意味不明に銃口を向けられ1時間以上拘束されたこともありました。

 

そんな感じで、そこらのツアー客の観光旅行とは異なり、かなりの体力気力を必要とするハード系な旅を若い頃は「好んで」してきたものです。

 

あれから20年以上の歳月。。この2月は、国内旅行ですが、30リットルのリュックサック1つだけを伴に格安ドミトリーを泊まり歩く久々のバックパッカーをしております。

 

で、その経過報告(個人的感想)なのですが。端的に言って「キッツい」。海外バックパッカー旅と比べると、心身ともに明らかにカルい旅のハズなのですが、すでに疲れてきました…

 

アラビア歌が爆音で流れる車内、耳栓しながら耐えつつ砂漠を駆け抜けた北アフリカの長距離バス。洪水の中、雨漏りしながらドロ川みたいになった道路を20時間弱も突っ走ったインド・ネパール国境バス。

 

「チャーイ!チャーイ!チャーイ!」の声が響くカオスでしかない車内、眠ったら転げ落ちる狭い3階寝台の北インド列車。角度90度ノーリクライニングの最安硬座で15時間ほど苦行が続いたインドシナ列車。

 

今回の旅、移動距離はまずまず動いている旅ですが。若い頃に利用した上記のような「拷問的」交通手段はまったく使っておらず。航空機や船、行き先や利用方法を示す言葉(日本語)が読める電車やバスで快適に移動してきたハズなのに…

 

そういえば、宿の確保も…。昔は、自分で現場(宿)まで足を運び、「どんな宿か、値段はいくらか、空きはあるのか?」と。せっかく訪ねても空きがなく、次の宿を探し、重い荷物を背負ってトボトボ歩くなんてこともよくある。そのように、今日の宿ですらどうなるか分からない旅をしていました。

 

しかし、今回はスマホを使って事前に宿の情報を調べ、しかも予約までスマホ1台で完結。こんな便利でムダのない旅をしているのです。これをバックパッカー旅とよんで良いのだろうか、とすら思うほど。

 

にもかかわらず、、今回の旅は結構ハード、そのように自分の体が感じている気がします… たかが数週間の国内バックパッカー旅なのに…

 

えぇぇ… 年齢(加齢)って、そんなに!?

 

うーーーん…

なんともなんとも、悲しいというか寂しいというか…

 

※体力的な衰えもあるでしょうが、内側から湧いてくる好奇心、冒険心みたいなものもねぇ…