「みのたけ」の 教育・投資・生活etc

みのたけ中年の趣味用雑記メモ(非収益化ブログ)。倹約と投資で労働から卒業した隠居生活者。投資歴は20年ほど。

幸せに生きる「身の丈」の素晴らしい暮らし方 

 

 

幸せを感じるにはコツがあります

普段から身の丈に合った生活をすることは当たり前

 

 

大事なのは

身の丈より少し下の水準で暮らすこと」

 

 

例えば

年収300万:平均交際費が月3万なら→2万で日々を楽しむ

年収500万:平均的家賃が月8万なら→5万の家賃で暮らす

世帯年収1400万:平均的支出が月50万なら→30万で生きる

純資産が1億になっても→資産が1000万しかなかったころと同じような生活を続ける

 

 

このように

意識して自分の身の丈よりやや下の水準で普段の生活を送る。

 

 

すると、ちょっとした贅沢で「幸せを感じる」ことができます。

 

 

毎日贅沢している人は、その贅沢が「当たり前」になってしまい、そこに「幸せ」を感じることができなくなってしまいます

 

 

なぜなら

良くも悪くも人は慣れてしまう生き物だから。

 

 

逆に、普段は「控えめな暮らし(身の丈以下の生活)」をしておくと、ちょっとした贅沢を味わう機会があると、とても幸せを感じることができます。

 

 

人は「差違」に敏感なので

その差違を逆の視点から利用しようということ。

 

 

意識して身の丈よりやや下の暮らしで生活を送って、

ちょいな贅沢で「幸せ幸せ」と感じて生きていきましょう

 

 

「幸せを感じる仕組み化」

↑自分の暮らしに組み込んでいくとよいですね

 

 

すると

あら不思議

 

いつの間にか

カンタン&幸せに「資産1億円達成」しちゃいますよ  ^_^

 

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【2020年7月1日追記以下】

負け組と言われる人達は「自分から負け組になることを選んでいる」

勝ち組と言われる人達には、確かに「運の部分もある」

しかし、勝ちの立場の「持続」は「勇気と挑戦、努力と根性、忍耐と我慢、知恵と工夫」で積みあげてきたナニかがあるからできる

そこには他責もクレクレもない

と、誰かが言っていたとか言っていないとか…

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みのたけ」で楽しみ幸せ感じながら「いまをいきる」 ^_^

 

ありがとうございます。

 

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幸せ感謝ありがとうございます ^_^

 

清貧の思想 (文春文庫)

清貧の思想 (文春文庫)

 

 

 

朝起きて、昼寝をしたら

 

 

今日は久々に朝8時台に起床。朝食を作り食べた。昨夜、午前2時頃という「早寝」をしたので早起きできたのだろう。ここしばらく、毎晩午前4〜7時くらいに床へ入っていたので、午前2時に就寝はとても健康的な生活への第一歩。

 

と、思っていたら。朝食後しばらくすると眠気がきた。午前11時を過ぎると眠くて眠くて。誘惑に駆られ布団の中へ。気持ちの良い瞬間。気がつくと午後3時を過ぎていた。外へ出ると予想以上に良い天気。夏も近いですかね。

 

自分は隠居人であるため「仕事で朝から起きねばならぬ」という制約がない。生来の夜型人間らしく、気を抜くと深夜どころか早朝まで起き続け、それから寝て起きるのは昼頃という生活リズムになってしまう。

 

隠居人とはいえど朝日の気持ちよさは知っているので、本来は午前3時頃には就寝、午前中に起きる生活を心がけたい。できれば、午前2時までには床に入って、午前11時までには起床したい。夏になれば朝日も強く午前中でも暑くなってくるので、太陽の力を借りて早寝早起き(一般的な生活)を実践したい。

 

 

「当たり前」の違い

 

持って生まれた「気質」と生まれ育った「環境」によって、人それぞれ「当たり前」に大きな差がある

 

これは、思っている以上に大きい。すべての判断(行動)の土台となる「感覚」の差なので、同じ事柄であっても、「当たり前」が異なると人によって大きく判断(行動)が変わってくる

 

先の新コロ大社会実験でも証明されたし、私自身が中年まで生きてきて、リアル周りの友人知人の生き様や在り方、人生における判断を観察してやっと実感として分かってきた。

 

各個人個人で、あまりにも「当たり前」に差がある。だから相互理解が難しいだけでなく、そもそも言っていることやっていることが本当の意味では理解できていないことが大半。

 

私の場合は、「当たり前」が長期視野、長期思考で、何をやるにしても良くも悪くも先まで想像してしまってから眼の前の行動や判断に落とし込むということが多い。

 

全く逆に、先のことなんて一切考えず、目先のことにひたすら真っすぐ体当たりでぶつかっていくタイプの人もいる。

 

私は、子どもの頃からお金様が大好きだけれど、金なんてどうでもいいから兎に角やりたいことをやりたい、という思考の人もいる。

 

自分の子どもをつくるということに関しても、私は「子どもをつくっても、私だけでなく、その子も100年足らずで消滅する。だから、己の欲によって命をつくって生を背負わせるなんて…」と10代の頃から感じてきた。

 

しかし、世の中の人間には「子どもかわいい!」「子どもほしい!」「自分の子がほしい!」という単なる物欲所有欲や、性欲のまま「ヤッてたらデキた」という獣としての行動によって子どもをつくっている人が驚くほど多い。

 

「当たり前の違い」というのは、道徳観や宗教観など社会教育(生育環境)によっての「洗脳色」の違いである部分もあるけれど、もっと根本的な「持って生まれた感覚の違い(おそらく遺伝子レベルでの感覚の違い)」であることも多い

 

※前者は後天的・環境、後者は先天的・気質

 

洗脳色(環境)の違いであれば、情報(教育)によって再洗脳すれば同じような「当たり前」を揃えることは可能だけれど、「持って生まれた感覚(気質)の違いによる当たり前の違い」は隔たりを埋めることが難しい

 

これは、飛び抜けて営業成績が良い人間の手法や考え方を、その他の一般的な営業マンにインストール(教育)しようとしても成果が出ないことが多いことからも分かる。

 

大手企業で10年ほど全社営業トップ10に入り続けている友人がいるが、事業部長として部下に同じことをさせても右腕になれる程度に育つ社員は10人に1人もいないらしい。

 

プライベートを四半世紀も知っている私から見ると、彼の心身の強さは普通ではなく、学生時代から中年の今になっても常に動き回っているし、仕事と私事の間に境がないことは「当たり前」である(休日も営業先を訪問している)。

 

心身を酷使するということも、プライベートなく働くということも、彼にとっては無理しているのではなく「当たり前(自然体=生来の気質)」なのだが、私から見ると「異常」だと思う

 

これは生まれ持った「当たり前の違い(気質の違い)」なので、その【「当たり前の違い」から生まれる判断の違い、行動の差】を教育や環境で埋めることは非常に難しい

 

世の中(人間社会)は、個体間でこのような「生まれ持った当たり前の感覚の違い(遺伝的気質の違い)」があるので、同じように見える人間群が同じような時代、同じような環境に置かれても、個人個人で判断や行動に差が生まれ、結果として生き方(人生)にも非常に大きな違いが生じるのだなぁ、と中年になって実感するようになりました。

 

そして、この「感覚差」は説明してもたいてい理解し合えることはない。そして、その結果として生じている判断や行動をマネすることも容易でない

 

だから、大抵のフォロアー(イナゴ気質)は子供の頃から大人になっても従属的な生き方を「自ら選び」続けている。一方で、良くも悪くもイノベーターの大半は子供の頃からイノベーター。

 

それは、各自が持って生まれた人生の選択や行動の判断基準となる「当たり前」・行動の土台となる「当たり前」=「世界の見え方、感じ方」が根本的に違うから。

 

良い天気と珈琲豆と車で出かけようか

 

 

数日はっきりしない天気が続いたけれど、今日は良い天気で気分がいい。この時期は秋のように空気が澄んでいて気持ちが良い。

 

しばらくコーヒー豆を挽いていなかったことに気づき飲んでみると微妙。フライパンで炒ってみたけれど、やはり劣化した豆は復活しない。部屋とトイレの消臭剤へ。

 

昨日は、やや空気が冷たかったけれど、初夏の日差しにキリッとした空気もそれはそれで気持ち良い。なぜか、昨日のジムには若い人が多くて、それもまた良かった。

 

スギ・ヒノキ花粉も終わり5月は外出が気持ち良い。今日も天気が良く、GWのような群衆移動による人混みや渋滞もないだろうから、車で少々遠出をしようと思う。のんびり楽しもう。

 

※追記。田舎のリゾート風な温泉にやってきたら、予想より若者宿泊者が多い。金曜夜だからかな。若者が健全に元気なのは良いことです。

 

4月18回とGW

 

 

昨日、いつも通り昼過ぎにジムへ。入浴からのストレッチ、そして3種類ほど運動。

 

入店時からあった違和感。いつも見かけないメンバー(客)がチラホラと目についた。なぜだろうと考えてみたら、世間はGW。

 

通常の「平日午後(昼から夕方)」であれば、ジムで風呂に入って軽く運動している定年組や、本気系の筋肉マンは大半が固定メンバー。

 

しかし、昨日はGW中の平日であったためか、仕事休みを利用して平日の昼間にジムに来ていた夜組の人達が多くいたようだった。

 

そんなことで、隠居中年である私にGWは関係ないのだけれど、4月は18回(18日)ジムに通い適度な運動ができたので個人的に良し。

 

春ですね、初夏ですね

 

 

桜も終わり、そろそろ新緑が山に現れ始めた季節。日によって日中はTシャツ1枚でも大丈夫なほど暖かい。

 

そういえば1週間ほど前には各学校で新学年が始まったからだろう、初々しい学生さんたちを街で見かけた。

 

中年の隠居人(私)は、いつものジムに通い風呂に入ってストレッチをして、いくつかのメニューをこなして家に戻る毎日。

 

変わったのは、気候の良い日は風呂に入らずストレッチをして筋トレ、20分ほど走って、最後に風呂という流れが戻ってきたこと。

 

寒いと先に風呂に入らないと体を動かす気が起きませんが、暖かくなってくると即ストレッチからの筋トレの流れが可能なのでスムーズです。

 

今年度は、今までの専門分野とは異なる領域の国家資格取得を目標に学習と受験をしようと思います。受けるからには今年度の合格を目指して。

 

投資はゲームではなく、貯蓄のための行動

 

パッシブ投資でよい

 

投資はゲー厶ではなく、将来への貯蓄であり資産管理

 

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例え、金融に関してプロのトレーダーと同等の広く深い知識がある場合でも、アクティブ投資が最大の儲けをもたらす可能性はあまり高くない。能動的に管理される投資ファンドが市場を超える成長を遂げることはあまりない。毎日のように株式を取引しているプロのブローカーが管理する投資ファンドでさえ、そのありさま。

 

S&P500や日経225などのように株式インデックスの動向を受動的に追従するインデックスファンド(パッシブ投信)のほうが、ポジティブなリターンを得る可能性が高い。さらに、売り買いを繰り返すアクティブファンドより、インデックスファンドのほうが料金(各種手数料)も安い。

 

【投資はゲームではなく、貯蓄のための行動】であることを忘れないこと。将来の貯蓄のために市場に資金を投じるときは、必要になる頃にしっかりと成長している安全で安定したファンド(手数料の安い幅広い銘柄への指数パッシブ投信)を見つけよう。

 

※以上は↓のWEB記事から引用、一部加筆調整。

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/870274628d574dde8f0f7c7c9f762b4f8d8d4a23?page=2

 

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大事なので繰り返すけれど、【投資はゲー厶ではなく、将来への貯蓄であり、そのための資産管理(資産分散)】。

 

20年間ほど投資をしてきたけれど、投資をゲームみたいに話していた人たちの大半は消えていった。

 

投機ゲームは、まぐれ当たりで一時的に上手くいくことはあるけれど、それを10年、20年と当て続けている人を私はリアルで見たことがない。

 

一方、当初から【資産分散管理のいち手段としての投資】と考え、株式などの有リスク資産へ分散投資をボチボチと始めた人は20年経っても投資を継続している(私も)。

 

眼の前の値動きに興奮し、株価の上下に夢中になり、右往左往と売り買いしていた人はいつの間にかいなくなるか、投資の話をしなくなった。結局のところ損をして投資から退場していった。

 

一方で、資産分散としてノンビリとコツコツ投資を続けた人は、気がつけば元本の数倍に資産が増えている(私も)。

 

新コロ前のこのブログにも何度も書いたけれど、株式などへの【投資の大前提はインフレ対策】としての資産分散。

 

※※新コロ暴落の10日ほど前に書いたこの記事とか@2020年2月12日※※ (新コロ相場、懐かしい)

https://apapoyo.hatenablog.jp/entry/2020/02/12/211505

 

歴史を学べばインフレ対策は当たり前のことであるにも関わらず、自分で学ばず、過去に学ぼうとせず、眼の前のブームや儲け話に飛びつく眼前思考の愚かな人が多すぎる。

 

ヒステリック新コロパニックでも、愚かな投機ブームでも、まぁだいたい根っこは同じ。眼前強欲のイナゴ的なマジョリティが愚かなことを繰り返すだけ。歴史に同じ。

 

結果、普通選挙制民主主義を採用していると衆愚政治になり、国家も社会もクレクレ病の眼前思考者たちに振りまわされて劣化していく。ホント、いやになっちゃいますよねぇ。