「みのたけ」の 教育・投資・生活etc

みのたけ中年の趣味用雑記メモ(非収益化ブログ)。倹約と投資で労働から卒業した隠居生活者。投資歴は20年ほど。

過去をなぞる

私は過去をなぞることがきらいじゃない。むしろ好きかもしれない。

過去の思い出、己の記憶の世界に浸ってしみじみとすることがしばしばある。

それは、旅の思い出だったり、住んだ土地の記憶だったり、出会った人たちのことだったりする。


https://twitter.com/seiyafujii/status/1563529938413596675?t=XZvPYEeiirfU7trXBLk45g&s=19


自分も中年まで生きさせてもらい、いつの間にか自由な身分を得るところまでこさせてもらった。頭のどこかで描いていた自由な生活、自遊な暮らし。

今まで生きてきた中、国内外で色んな場所を訪れ住んで、様々な人に出会ってきた。なんだか、とても不思議な感覚。そして色々と様々に感謝している。

昔から、今も、そして生涯、私は運が良いのだと思う。ありがとうございます。

自由を手に入れるということ

ウイルスでも経済でも、自由を手に入れようと思うなら、他者(多数派)より良く調べて良く考えて、適切なリスクをとることが大事。

マジョリティと違うことができない人は、マジョリティのまま。それは生涯にわたって「マジョリティ奴隷的な空気と常識という檻の中で生きる」ということ。

多数派でしかいられないなら、社会的な自由を得ることは当然できない。

まず「他人と違うことを怖れない気質」かどうか、そして「多数派より良く調べ考えることができる」かどうか、最後は「運がある」かどうか。

自由な人生を得るということ

※この夏は日本で青春の旅をして自由を満喫中。まだインバウンドが戻ってないから、ソッチ向けメインでやってたお宿は平日ガラガラ。

執着と希望、目標設定と達成は麻薬、夫婦の興味関心

妻が

「挫折したことがないから分からない」

「希望や目標を設定したことがないからか」

「だから、結果をゆるく流せる」

「苦しみはギャップから生まれるから、結局、自分が苦しみを生んでる」

「目標を持つのは賭け、達すると喜び、失敗したら苦悩」

「“こうなりたい”は麻薬だよね、苦しんで到達して悦んで、また新たな目標を設定して、それに向かってもがいて…」

と、申しております。

心の持ち方によって全然違うよね。


※どう考えてどう行動するか、目標設定や希望の持ち方については、個人的には生まれ持った気質が大きいと思う。「あぁぁ」と流せる執着がない人は希望も喜びも小さいけど、落胆も苦悩も小さい。

妻は興味関心の対象や分析(物事の切り取り方)が私とまったく異なるので面白い。私は、人間の内面(気持ち)にあまり興味がなく、社会や制度、経済やお金、物理的実利的なコトに興味がある。妻は、そういうコトには無関心で、色んな人間を観察して、内面を想像して楽しんでいる。着眼点が異なる者同士が話をすると、お互い新しい気づきや学びがあるので面白い。

大事なものが増えると心配も増える

 

 

『大事なものが増えると心配も増える』

 

ずいぶん前に目にした言葉

おそらく20年ほど前だと思う

今でも、この言葉は箴言だと思う

 

 

 

今日、7,8年ぶりの友人に会った

 

昨日は、3年ぶり&20年ぶりの友人(+α数人)に会った

 

皆、中年なので、それなりに年を重ねたが、人によって差がでてきた気がする

 

私は「あまり変わらない」と言われる方だ

 

外見は、20年前と比べると、やや痩せて(5キロくらい?)白髪が混じってきた

 

内面は、どうだろう?

 

さすがに、昔ほどヤンチャではない

 

ただ、「大人のフリ」をはじめた周りの中年たちよりは多少ヤンチャかもしれない

 

明確なのは「子どもがいない」という点

 

既婚ではあるが子どもはいない(選択の結果)

 

やはり、中年になると「子どもが大事」ということを子持ち友人達からヒシヒシと感じる

 

「子どもが大事であるがゆえに心配や悩みも多い」のだな、と感じることは多い

 

そういう人は、とても健全で、ちゃんとした親であり、まっとうな人間なんだろうと思う

 

逆に、子持ちなのに我が子なんてどうでもいい、子に関する心配も悩みもナイという人は、どこかネジがとんでいるチャランポランな無責任者か、しっかりと自己の哲学・生き方の指針・子育ての在り方のようなものを確立している人かのどちらかだろう

 

私に関して言うと、子ナシなので人生における過剰に大きな心配や悩みはナイ

 

多少の資産があるので、そういう管理面の心配や悩みはなくはないが、突き詰めると大したことではない

 

なぜなら「自己完結」であるから

 

 

 

『大事なものが増えると心配も増える』

 

だからどうだということではない

 

大事なものを持つということは良いことでもある

 

ただし、世の中(人生)は基本的にトレードオフである

 

大事なものを持つと心配が増える

 

この関係性を理解して人生を生きることは、それなりに重要だろうと思う

 

まぁ、私は、よくもわるくも気楽だね

 

今日の幸せ(郷土料理や歴史ある街並みや甘味やアウトドアや焼き肉と満月)

 

今日の幸せ

 

妻と

 

郷土料理&各おいしい惣菜とworld chill

 

久々の歴史ある街並みと甘味の宗教拠点

 

イスに座って自然を感じて蚊にも刺されず

 

おいしい肉を焼いて食べて満月を眺める

 

今日も、なかなかに穏やかで幸せな1日でした

 

 

 

 

FIRE隠居人の生きているヒリヒリ感

 

昨日、日本で久しぶりに良い意味で「少しヒリヒリ感」ある体験ができました。結果として「生きている感」を味わうことができました。

 

具体的には「体と頭を動かした」のですが、その理由は「身を守るため」でした。

 

といっても、誰かに襲われたとか、そのような物騒なコトではなく、単に「体力的(物理的)にキツイ状況」に放り込まれたのです。

 

正確には、自分からそのような環境に入っていったのですが、予想より随分と過酷な状況に「なりかねない」環境でした。

 

誰かが意図的に過酷な状況をつくったわけではなく、おそらく運営側にとっても「予想外の展開」によって、過酷な状況ができてしまっていました。

 

そこは「考えて体を使わないと倒れかねない」環境でした。

 

実際、その場では体調不良になり休んでいる(倒れている)人や、体調悪化で救急車のお世話になっている方もいました。

 

ヒリヒリしました。懐かしい感覚でした。

 

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思い出したのは、若い頃の途上国での幾つかの旅。

 

少々過酷なバックパッカー旅の経験がある方は分かると思いますが、多くの途上国での個人旅行は「自己責任」の極みです。

 

「至れり尽くせり、安全安心の日本」とは全く異なる「毎日がサバイバル(それが当然)」の見知らぬ国や地域を旅すると、「自分の身は自分で守らないと誰も守ってくれない」という状況が多々ありました。

 

そういう旅では「常に頭を使って(危険予知して)身を守る」という作業が必要です。

 

例えば、途上国の旅で長距離バスに乗る時には、非常用の食事(ビスケットなど)や水をリュックに入れておきます。なぜなら、急にバスが動かなくなったり、何かの拍子に置き去りにされたりすることもあるからです。

 

特に水は必須。途上国旅の実体験として、行程予定が6時間と言われた長距離バスが、実際は18時間かかったことがありました。しかも、悪天候のため飲食店(バスが立ち寄る店)が開いておらず、私を含めた乗客は20時間弱、バスの中で水も食料も確保できない缶詰状態(トイレは野良)になりました。

 

約20時間、食事はともかく、水が飲めないのは危険な状況です。しかも、その国は暑い国で、そのバスはノーエアコンのバスでした。長距離移動の際、私は常に1リットルほどのペットボトルの水を持って旅するようにしていたので大丈夫でしたが、水を持っていない乗客は非常に辛そうだったことを覚えています。

 

別の国では、中距離バスが突然止まり、私を含む乗客はバスの外に出されました。運転手がバスのエンジンを見て「エンジンが壊れたから動かない。次のバスが来るまでココで待っていてくれ」と言って、乗客全員が南国の炎天下に放置されたこともありました。

 

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上記のように、途上国での1人旅は「自己責任で頭と体を使って自分の身は自分で守る心構えと行動」が必須ですが、昨日は日本国内でしたが過酷な状況でした。

 

水と食料(エネルギー源)の確保、そして体力の温存と体力の使いどころの判断。これを間違った人、自分の体の状況を把握できていなかった人は倒れていました。

 

私は「これはマズいかもしれない」と到着前から感じ、到着した現地を見て「ヤバいな」と思ったので、すぐに水とエネルギー源の確保に向かいました。ですが、既にやや厳しい環境だったので、無理をせず、日陰で体を休めて、頭を冷静にしてから行動しました。結果、運も良く、水とエネルギー源が確保できました。

 

その後の行動も課題でした。いつ動くか、どのルートで、どのように帰るか。観察すると、幾つかの選択肢があるようでした。

 

私はその選択の先にある状況を調べました。選択肢は大きく3つでした。

 

1.体力を非常に消耗するが、行程が明確に分かっている選択

2.やや不確実性があるが体力を温存できる可能性が高い選択

3.待機時間が全く見通せないかわりに、待機が終われば体力消耗は激減する選択

 

私は、2の「やや不確実性がある選択」をしました。

 

結果、私は無事にゴールにたどり着けました。すべて終わった後で眺めると、私が選んだ手段2は「大正解でもなく大失敗でもないホドホド」のものでしたが、満足できる内容でした。

 

※結果論で言うと、大失敗は1で、大成功は3でした。

 

大失敗の選択肢を選んでしたら、私もどこかで倒れていたかもしれません。そこまでいかなくても、体調不良に陥り、良い思い出として終わることができなかったかもしれません。

 

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危険予知して、調べて、考えて、決断して、行動する。

 

久々に少しヒリヒリしました。生きている感じがしました。あぁ、こういう体験を若い頃は年に数回~十数回はしていたな、と思い出しました。

 

今は中年になり、時間もお金にも余裕ができ、安心安全でノンビリとしたFIRE隠居生活を送っている自分ですので、なんだか新鮮な感じで良き体験ができたと思います。

 

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※昔、さいとうたかをの『サバイバル』を途中まで読みましたが、最後まで読み切っていないことを、この文章を書きながら思い出しました(笑)