私は綺麗ごとが嫌いだ
綺麗ごとを言う輩がとても嫌いだ
なぜか?
なぜなら
綺麗ごと人はニセモノだから
綺麗ごと言う輩に、こう言えばよい
「じゃあ、君が死ねば?」
その綺麗ごと人が生きているだけで、世界の1人分の食料やエネルギーを消費している。だから、綺麗ごと言うなら死ねばいい。そしたら、その浮いた1人分の食糧とエネルギーを他者が利用できる可能性がある。
無理かね
ほうほう
では
「さっさと全財産寄付しなさい」
なぜ、綺麗ごと言ってるのに自分の分だけは確保してるの? 安全地帯で何の犠牲も払わずに上辺の言葉だけでヤレヤレ言ってる者は軽蔑の対象でしかない。
もう1つ尋ねてみたらよい
「君の子どもを殺したら、他人の子どもが助かります。自分の子を殺して、他人の子を助けるんですよね?」
できないのかい? そしたら、結局自分と自分の周りがカワイイだけでしょ。何を綺麗ごと言ってるんだ。突き詰めて考えることもせず、上っ面の耳触りの良いことを言ってるだけか。ばかばかしい。
だから
綺麗ごとを言う輩はニセモノである
つまり
偽善者という奴だ
もう1つ別の見方がある
私は人生において、実際に時間を共有した人の中でホンモノと感じた人が2人いる。そして、ホンモノなのかもしれないと感じる友人も2人いる。
ただし
そのホンモノ2人は綺麗ごとを言わなかった
本物は「言葉ではなく行動で語る」
ホンモノは生きざまから信念が伝わってきた
友人2人も、言葉より行動で示している
つまり
綺麗ごとを「言う」連中というのはニセモノだということ
本物は「言葉を発するのではなく行動している」
このような理由から
綺麗ごとを言うニセモノ輩がとても嫌いです
綺麗ごと反対!(笑) ^_^