Twitterで、このようなツイートを見た。
印象的な内容だった。亡くなった方のツイートも見た。
短大でまだ唯一連絡をとってた友達のちひろが亡くなった事をさっき知った。
— あやお🏝海ゴミアーティスト (@ayaotsukuru) 2022年2月14日
12月に入院してから何度か電話してて、子宮癌でやばい事は知ってて、でもどうせ治るやろって思ってて、しばらく連絡なかったから元気になったんかと思ってたら、もう星になったみたい@chisandawa1005 pic.twitter.com/uAO3xQkFHA
2人とも、死と対面しているが、明るい。
「死と向き合ったとき」、その人の本性が現れてくると思う。
この「あやお」さんも、「ちひろ」さんも、明るい。
明るく振る舞っている部分もあると思うけれど、おそらく根っから明るいのか?
あかるい、というより、あっけらかん。
そんな風に感じた。
もしかすると、もっと根深いところには暗いものがあるのかもしれないけれど、「死と向き合っている場面」でも、それは伝わってこなかった。
ちひろさんのツイートも印象深かった。
生きたい
— 堀江千尋 (@chisandawa1005) 2022年1月16日
あっけらかんとした明るい死。
そういうものがあっても良いと思う。
人は色々。
様々な人がいる。
ちひろさんの最後のツイートは、この人が出ていた。
根深いものもあるだろうけど、それを覆い隠す明るさ。
明るくしないと生きてこられなかった、生きていけないだけの何かがあるのかもしれないし、そこまでではないのかもしれない。
なんにせよ。
あっけらかんとした明るい死。
そういう人生もあって良いと思う。
そういう生と死があっても良いと思う。
あっけらかんとした生、あっけらかんとした死。
いいじゃないか。ええじゃないか。
※その一方、株式相場ではサヨナラVOOVTI、GOLD来たる。人の世は色々、様々。ありがとうございます。感謝してます。あっけらかんと生きて、あっけらかんと死んだ者の価値。ええじゃないか、いいじゃないか ^_^