すごいなぁ~
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としか言えない。
あとは、趣味の大事さ、歳をとっても挑戦することの大事さ、仕事の大事さ、人生の面白さ
人間って凄いな、凄い人っていっぱいいるなぁ~
年齢を重ねても老いない精神をリスペクト so much!
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↓こちらのWEB記事について私の意見を以下に書いていきます
現場で指導している者として、これ「(登場人物の)気持ちを考えよ」という存在は大きな問題。
私は国語の読み取りにおけるこのような「気持ちを答えよ」という問いは言語学習ではなく「道徳もしくは社会文化」の学習になることが多々ある、と感じている。
塾で受験用の問題を指導していた経験から、良問の解には明確な「根拠」があった。しかし、国語の「気持ちを答えよ」系の問題には悪問が多く、教師が答案集を見て根拠を確かめても「この解答(根拠)強引すぎじゃね? 作問者ダメじゃね?」と思うことも多かった。
WEB本文では
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ここで問われているのは、「あなたがどう思うか」ではなく、「私たちの属する解釈共同体では、この場面ではどのようなコードに従って解釈するのが妥当か」だからです。問われているのは、あくまで「私たちの解釈共同体の妥当解」なのです。だから、そのコードを全く知らないと、答えることができません。答えは「本文の中」ではなく「本文の外」にあります。
(WEB記事より抜粋)
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とある。
この説明は間違っていない。非常に重要なことを述べている。
重要な点は、答えが「本文の外」にある時点で「言語学習」ではなく「一般常識・社会通念(=文化学習)」になってしまうだろうということ。
WEB記事は以下のように続く
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私たちは、厳密には一人一人異なる「様々な思い」を持ちつつも、でも同一の文化を共有する共同体のメンバーである以上、コミュニケーションに必要な解釈のコードを持っています。そして、物語文における心情の読み解きとは、その解釈のコードについての問いなのです。だから、直接書かれていなくても、「私たちの解釈共同体では、このように解釈する」ことを、問うことも、答えることも、できるのです。
こういう観点で物語文の授業を見てみると、教室とは「解釈共同体のコードとその適切な運用を教える場である」という側面を持ちます。まだ幼い子どもたちは、僕たちの解釈共同体のコードに必ずしも通じていません。そこで、教室では、心情描写や情景描写を読み取るという体裁を取りながら、教師は「私たちの解釈共同体のコードはこうですよ」「共同体の一員になるには、このコードを理解しないといけませんよ」ということを教えている。
ここで問われているのは、「あなたの解釈」ではなく「私たちの共同体における妥当な解釈」です。それを問いつつ、大人の代表である教員は、子どもを共同体の一員へと「馴致」していきます。われながら意地悪い言い方をしている自覚はありますが、学校の持つ「社会化」機能は、物語文の読み取りの授業ではこういう形であらわれます。
(WEB記事より抜粋)
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と書かれている。確かに学校現場では上記の通りのことが行われているし、おっしゃる通りだと思う。
要するに、「国語」を「子どもを、その社会の枠組みの中に押し込むための教科(共同体の一員として洗脳する学習)」として利用するなら、「気持ちを考えよ」という問いは「アリ」となる。
しかし、「国語」を「言語学習」と捉えるなら「ナシ」である。なぜなら、純粋な言語学習であるなら「答え(根拠)が本文内になくてはいけない」からだ。
根拠が本文外にある場合は、言語学習ではなく「文化学習」になってしまう。
分かりやすい例として、日本語を学んでいる外国人(日本の文化的背景を持たない人)に「気持ちを考えよ」系の国語(日本語)問題を解かせたらどうなるかと考えてみるとよいだろう。
私は実際に海外で、日本人でない人たちに日本語を教えていたことがあるから自信を持って言えるが、これは「言語学習」ではなく「文化学習」である。
なぜなら、「根拠は本文のココにあるよね、だから〇〇が答えだよ」ではなく、「日本では一般的にこういう風に考えるから〇〇が答えになるんだよ」と解説することになるからだ。
重要なのは、この解説を聞いた外国人の反応が「へぇ~、日本ではそうなんだ。でもウチの国では違うよ」となることが多々ある点。
つまり「気持ちを考えよ」系の解答根拠が本文の外(文化的背景)にある場合は、「文化(国や宗教など)が異なると答えが異なってしまう」。
このように「気持ちを考えよ」という問いは、完全に「文化学習」であり「言語学習」ではない。
最後にまとめると
「国語」という教科もしくは授業を「子どもを日本社会の枠組みの中に押し込むための道具もしくは時間(共同体の一員として洗脳する学習もしくは時間)」として捉えるなら、「気持ちを考えよ」という問いは「アリ」となる。
一方、「国語」を「日本語という言語の技能を学ぶ教科もしくは授業」と捉えるなら「ナシ」となるだろう。なぜなら、純粋な言語学習であるなら「答え(根拠)が本文内になくてはいけない」と考えられるからだ。
ちなみに、私の立場は「ナシ」の方である。
ただし、「そもそも言語は文化的側面を絶対的に含む」と言われてしまうと議論が変わってくる。これだと「言語」をどう定義(もしくは理解)するかという話からやり直さなくてはいけなくなり、前提が変わるので議論が噛み合わなくなる。だから、それはまた別の話。
※このことについて問題意識を持っている人が多いからか、初等教育の国語業者作成テストにおいて、「気持ちを答えよ」系の問いは少なくなっている(もしくは根拠が明らかな問題が大半)という現状に注目すべきだと思う。個人的には良い傾向だと感じている。
↓個人的に、この福嶋式は純粋な言語学習なので好き。偏差値20アップするかどうかは別問題。
「本当の国語力」が驚くほど伸びる本―偏差値20アップは当たり前!
↓こちらが反論されているWEB記事。私個人としては同意する点も多い。
↓とりあえず、出口先生の論理エンジンやらせとけ!
面白そうな試み
今後ますます空き家が増えていく。職業キャリアも転職や倒産が当たり前。そんな時代において「一カ所に定住」という考えは前時代的。
自分の興味や置かれた状況に合わせて「臨機応変に住む場所を変えて自由な人生を楽しむ」という考えに合った新ビジネス。
新規事業なので現状は田舎だけにしか拠点がないようだが、この事業が軌道に乗れば都市部周辺にあふれ出している空き家も拠点になっていく可能性あり。
興味深い
シリア内戦と異なり、イエメン内戦は日本の報道機関による報道がほとんどない気がする。少なくとも、新聞やTVではあまり目にしない。
なぜだ?
なんか漫画の「蟲師」のような薬草に溢れた部屋。本格的。
応急処置だけでなく、自然治癒能力を活かした治療にも向いてそう。自分でできるってのがいいね。でも、消毒をちゃんとしておかないと後から大変なことになるかも。擦過傷の消毒って今は「水洗い」が多いんだけど、痛いんだよね~
Brilliant! Wonderful! Amazing!
Excellent! Fantastic! Incredible!
Marvelous!
オチはコレで
カワイイなぁ
「変態コース」
またの名を「個性派コース」
これは、ライフネット生命保険株式会社創業者で、現在は立命館アジア太平洋大学学長をされている出口治明氏の表現(WEB記事本文より)
出口氏は、従来から存在する学校教育を「偏差値コース」と呼び、このコースにおける優等生は、素直でよく勉強して偏差値がそこそこ高く我慢強くて協調性があり、「製造業」に向いていると説明する。しかし、画期的なアイデアがでてこない。
それに対して「変態コース」とか「個性派コース」と出口氏が名付けているのは、画一性や同一性が嫌いで型にはめられたくない、個性が際立っている。あるいはめちゃくちゃ高学歴で、自分が好きなことを徹底的に究める。そんな個性を持った人間を集めたコースで、こういう個性の人間は「起業家」「ベンチャー企業」に向いているとする。
出口氏が学長を務める立命館アジア太平洋大学(APU)は、「変態コース」の大学らしい。
なるほどな、と思う。APUはできたころから注目していて、教え子が興味を持って色々と調べてた時期もある。たしかに、かなり「個性的」な大学だと思う。偏差値も、できたころより上がっているので、それなりの結果も出しているのだろう。
私としては「発達障害(Gifted)コース」だと捉えて考えているのだが、こういう「変態コース」「個性派コース」がもっと増えてほしいと思う。
より具体的に持論を説明すると、日本の小中高教育に「落第と飛び級」「教科選択制単位制」「学校選択制」、そして「Giftedコース」などが採用されてほしい。そうすれば、救われる子どもが増え、教育の質も高まり、結果として日本国の国力上昇につながると思う。ただし、公立学校の民営化は必要ない(アメリカが大失敗している)。
教養とは何なのだろう?
出口氏の著書は好き。この2冊も読みたい。
もし私が10歳の日本人なら…
世界的投資家の「驚愕の問いと答え」
ジム・ロジャーズ
より抜粋、以下
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「もし私がいま10歳の日本人ならば……」
著名投資家のジム・ロジャーズ氏はそこまで言うと、少し考えるように間を置いた。
米国の投資情報ラジオ番組『Stansberry Investor Hour』に登場し、インタビュアーから日本経済についての見解を聞かれた時のことだった。
ロジャーズ氏は少しの沈黙の後、意を決したかのように衝撃的な「答え」を語り出した。
「もし私がいま10歳の日本人ならば……。
そう、私は自分自身にAK-47を購入するか、もしくは、この国を去ることを選ぶだろう。
なぜなら、いま10歳の日本人である彼、彼女たちは、これからの人生で大惨事に見舞われるだろうからだ」
AK-47とは、『カラシニコフ』の名で知られる旧ソ連開発の自動小銃のこと。インタビュアーは神妙な声色で、「とても興味深い答えだ」と応じたのである。
「まず言いたいのは、私は日本が大好きだということです。世界の国々の中でも大好きな国の一つです。だから、日本が衰退していく姿を見たくないのです。私は死ぬまで大好きな寿司を食べていたい。しかし、このままいけば私のそうした願いはかないそうにありません」
「いますぐに日本政府が手段を講じない限り、日本は将来的に『破産』することになります。それは計算すれば誰でも簡単にわかることです。私はなにもクレイジーなことを言っているわけではなく、事実を言っているのです。
借金は毎年膨張し、人口は毎年減少し続けているのだから、必ずそのツケが回ってきます。
もちろん、それは6ヵ月後とか20週間後に起きるわけではありません。短期的には、日本の株価はまだ上昇するでしょう。
しかし、20年後、30年後には、日本が大惨事に襲われている可能性は十分にあるということです。20年後に振り返った時には、安倍晋三首相は日本経済を破壊させた張本人として歴史に名を刻んでいるでしょうね」
――そんな日本の「破産」は避けられないものでしょうか。「未来の年表」を書き換えることはできませんか。
「可能ですよ。まず財政支出を大幅に削減し、さらに減税をする。この2つを断行するだけで、状況は劇的に改善します。簡単なことなのです。
しかし、いま安倍首相がやっているのは真逆のことでしょう。ただでさえ莫大な借金をさらに膨らませたうえで、無駄な橋や高速道路を作ろうとしている様は狂気の沙汰としか思えません。
消費税を増税すると言っていますが、これも新たな橋や道路にカネがつぎ込まれるのがオチです。安倍首相と彼の側近たちは、財政支出をカットしたら選挙にマイナスとなると考えている。つまり、彼らは日本の未来より選挙に勝つことを重視しているわけです。
借金をこんなに増やして平気な顔でいられるのも、返済をするのはあくまで後世の人間で、自分が死んだ後のことだと考えているからでしょう。そうした負担をすべて押し付けられるのが日本の若い世代なのです」
――人口減少問題への対応も後手に回っています。
「人口動態を大きく変えるには、日本人に子どもをたくさん作ってもらうか、日本が移民を受け入れるかの2つしか方法はありません。しかし、なぜだかわかりませんか、日本政府は移民を受け入れようとしません。
結局、いま10歳の日本人が人生を通して経験していくのは、次のような『惨事』になるのでしょう。
これからの日本では生まれてくる子どもの数がますます少なくなり、移民も入ってこないため、人口減少のスピードが急加速していく。
借金はさらに膨張し、その返済のために増税が度々断行される。それでも借金は返済しきれないので、次には年金などの社会保障が取り崩されていく。
日本人の生活水準はそうして徐々に悪化し、生活苦にあえぐ日本人が増え、いよいよ打つ手がなくなる。最終的には見たくもない破産劇が待っている、と」
「日本人にとって一番の解決方法は、将来にツケを回すような政府を退陣させることなのでしょう。
日本国民がイニシアティブを取り戻して、国の借金を減らし、人口を増やす構造改革に着手する。そうするだけで、状況はいまよりずっと改善すると思います。日本人は早く動き出すべきです。日本の破産はもうすでに始まっているのですから」
最近売れた「イオンを創った女 ― 評伝 小嶋千鶴子」にも書いてあったが、ほんの70年ほど前、日本では「預金封鎖」と「財産課税」が実施された。ベネズエラのハイパーインフレとか、キプロスの預金封鎖とか、他人事じゃない。
毎年1兆円ずつ増えていく社会保障費って、もうアウトでしょ。
この先、10年後、20年後に何があるか。現状を分析して、歴史から学べば、予言はできなくても予測はできる。
じゃ、どーーーすりゃいいのさ! ジム・ロジャーズさん!!
1990年代に大蔵省が本気で資産課税を検討していたというのが衝撃。そして72の法則。2035年には債務残高対GDP比で500%を超える、ってその前にバクハツするわな…
徳政令に棄捐令、預金封鎖に財産課税(通貨切替)。歴史を振り返れば日本だけでも、何度も何度も。世界を見渡すと「国や巨大権力が借金を強制的に帳消しにする」というのは「普通にある」ことだから…。今の日本国の財政と政治を観察すると、もう準備し始めていると個人的には思ってしまう。安倍政権が最初は本気でリフレ政策を使いつつ財政再建をやろうとしていたのか、意図的に今の出口なき袋小路に入ったのか分からないけど…。内戦は、今の日本人は他人事としか思ってない感じやけど、日本と世界の歴史を振り返ると内戦なんて「当たり前」のことやから、こわいね…。個人的には「政府の意図的な借金帳消し策」は僕らが生きている間に高い確率でありうると感じます。カラシニコフがいる国になるかは、ちょっとなぁ、あってほしくないとしか言えない。
特別会計も含めた日本国の実態
私の友人に「自己啓発本・自己啓発セミナー」が大好きな人がいた。彼は一生懸命に自己啓発本読んで、大金出して自己啓発セミナーに参加していたけど、何も変わらなかった。
でも、彼は変わった。
なぜ?
それは「仕事を変えた」から。
それまでは「深夜のアルバイト」をしていた。でも、私の別の友人からの紹介で「朝から夕方勤務のフルタイム」の職を得た。そこから彼の人生は変わった。
自己啓発で変わったんじゃなくて
「仕事(給料)と場所(環境)と生活リズム」の変化が彼の人生を変えた。
自分を変えたければ
「仕事・場所・生活リズム」を変えたらよい
ってこと。
以下のサイトの内容が面白かった。
xn--n8jaeuay5n4a6soce4105gh6zcnqau61u3l8b.com
※以下は上記WEB本文から印象に残った部分を抜粋引用
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漠然と現状不満でなにかしら誰かに答え(=助け)を求めてるような状態ってめちゃくちゃ騙されやすい。
人生変えるようなきっかけが欲しいけども、具体的に何から始めたらいいかわからない、どうしたらいいかわからないって人がハマりやすいのが自己啓発。
具体的な行動を起こしてるわけじゃないから、現実はなんも変わらへん。
「参加すれば何か答えが見つかるんじゃないか」って思うんやろな。そんなもん自己啓発セミナーには無いねん。
確かに与えないことには入ってこおへんから正しいことは言うてるんやけどな。ただ自分が潤ってない人間が他人に何を与えてる場合なの?
同じコミュニティ内の人間だけと付き合ったらダメなんよな。そのコミュニティに集まる人間ってのは同じ価値観やから集まってるわけで、コミュニティ内に起きてることに違和感があっても同調圧力で「自分がおかしいのかな?」って思ってしまうわけ。ホンマはまともな感覚やったとしても、はみごにされるねん。そして、居場所がなくなる恐怖から結局は従うことになる。
ふだん生きてて起業家経営者と出会うことってないやん?だから、盲信してまうねん。初めて会った起業家経営者に。
ひとつ言えるのは、自己啓発にいくらお金をかけてもお金が稼げるようにはならない。
自己啓発コンテンツを買っていいのは、もうすでにやるべきことが決まってる人間。
過去これまでに自己啓発セミナーとかコミュニティに参加してきた人、あるいは今、自己啓発系コミュニティに入ってる人によーく考えてみて欲しいことがある。
その場に起業家経営者はいましたか?あるいは、現在いますか?
いないでしょ?それが答え。そもそも自己啓発コンテンツを買うのって一般サラリーマン層で起業家経営者層じゃないんよな。起業家経営者層は自己啓発本、自己啓発セミナーを売って儲ける側。買う側じゃない。
つまり、自己啓発に頼る人間ってのは、そもそも立場的・経済的に弱い人なのね。そんな界隈にいて変わるか?・・・変わらんな。
人生を変えたけりゃあ環境を変えろ!ってよく言われるけども環境ってのは人間関係のことや。だから、人間関係を変えようと自己啓発セミナーに出席するんやけども、その場にいるのは一般サラリーマン層であって、起業家経営者じゃない。それで変わるきっかけを得られるのか?・・・ないな。
人生を変えたけりゃあすでに実際に人生を変えてるヤツとつるまないとダメ。でも、セミナーやコミュニティに出てもその場にいる人間がサラリーマンばっかり。それで、取り入れる情報の質は変わるか?・・変わらんな。インプットする情報の質が変わらんねんから、アウトプット(=行動)が変わるわけがない。つまり、人生も変わらへん。
人生を変えるってのはどういうことか?
それは、自分でお金を稼げるようになるってことや。
決して、やる気を出すとか前向きになるとかそういうことじゃない。
それはすべて、自分のやるべきことが決まってないことが原因やねん。それがないからなんかフラフラしてまうし、自分の足場を固めようとしてないから、ゆらゆら周りに影響されてしまうんよな。
これはずっと言うてきてることやけども、
具体的な金の稼ぎ方を教えてくれへんヤツはアカンな。なんも変わらんから。
自己啓発にハマる人は具体的な人生を変えるためのアクションプランをいつまで経っても持つことができへんねんな。やることが決まらんからな。ずっとよくわからへん「何か自分にもできるはずだ」っていう幻想・夢を追いかけることになるねん。
人生を変えたけりゃあ、
まずは有無を言わさず金を稼ぐ!
自己啓発にいくら金つっこんでもやることは決まらへんし金は稼がれへん。自己啓発屋にひたすら金を貢ぐ運命。結果、人生変えるどころか金と時間と精神力をすり減らして終わり。騙されへんようにな。
(以上、抜粋引用オワリ)
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自己啓発に限らず、不動産投資、株投資信託投資など、色んな情報に騙されへんようにしないといけないよね。
しかし、騙されないようにするには、大したリスクない金額で「実際に体験」してみることが大事だとも思う。
自己啓発本・セミナーも、株などの投資も、少額でハマらない程度に試して体験することは大事だと思う。
部活をしてない高校生はアルバイトした方がいいと思う。高卒大卒は、まず正社員か少なくともフルタイムの職に就いた方がいいと思う。
まずは働いて金を稼いでみることから
うまくいくなら起業でもいいと思うけど、10年で生き残るのが7%だからなぁ…
↓とかなんとか言っていますが「7つの習慣」は読みました。もう10年以上前でしょうか。このコーヴィーさんの顔入りではないデザインの旧版で読みました。コーヴィーさん、お亡くなりになったんですね。
↓これを読みました。やはり、このデザインに力があります。
↓でも、やっぱり漫画が読みやすいですよね。漫画派です(笑)
■英語学習は何歳でもやりたいと思ったときが始めどき
私(あぱぽよ)は、学生時代は英語劣等生で、高校時代は偏差値40前後。そんな私ですが、30代で英語の勉強を本格的にはじめ、2,3年で英検1級に合格しました。だから、ヤル気になれば「英語なんて誰でもいつでもできるようになる」ってことを身をもって知っています。
■英語学習に使うお金を「ためておく」のはどうか
子どもに無理やり英語を学ばせるくらいなら、ほっといて、いつか「学びたい!」って言いだしたときにドカッと投資してあげればよい。
■20~30代なら、子どもよりも自分が英語を学ぶべき
子どもに「英語勉強しなさい!」なんて言うくらいなら、まず「自分(親)が英語を学びなさい!」って話。費用対効果の即効性は圧倒的に親が英語を学ぶ方が良い。
■英語学習に励む親は、子どものよい見本
英語学習に限らず、「学ぶ親の姿」「努力・工夫を続ける親の後ろ姿」が子どもにとっての最良の教科書。「子どもに勉強しろ!」と言うなら、その前に「まず親(自分)が勉強しなさい!」。
■「ビジョン」こそが英語学習のカギ
ビジョンなんていうと分かりずらいけど、「強い動機」を持って目的・目標を明確にして取り組めば、英語なんて簡単に身に着く。
↑英語ができる人ほど、母語学習の重要性を知っている。外国語学習は後回しで良いということを、学んでいない人、習得していない人ほど分かっていない。当たり前か、実践していない親には「語学学習がどのようなものか」が分かるわけがないよね。
↑子どもに語学学習を「強制する」なんてのは、もっての外。
↑(以下、本文より抜粋)
英語ができない親ほど、子供の英語教育に大金をかける傾向アリ。
理由は以下。
1.英語ができると給与が高い職業につけるという思い込みがある。
2.英語力がある状態で就活し、たいして評価されなかった経験がない。
3.使いこなせるレベルの英語力は「お金を出して教えてもらう部分」よりも「独学で根気よくやる膨大な量」にあるという事実を知らない。
自分(親)ができないことを子どもに強制するのは愚の骨頂。まず自分(親)が実践してお手本を見せることが一番大事!