灼熱の6月が終わったら、突然の雨続き
そこで小雨の中、夕暮れに散歩していて改めて思ったのが
「中年になったら、大方の勝負はついている」ということ
1,2年前、友人から初めて「中年の壁」という言葉を聞いた。その言葉を教えてくれた友人が、まさに中年の壁にブツかっているということだった。
その時はピンとこなかったが、久々の隠居生活をはじめて半年以上が経過、新コロのバカバカしい騒ぎもおさまってきた今日この頃、「あぁ、なるほど」と思う部分がある。
基本的に、不惑も過ぎると、日本では会社員や組織人としての己の職業キャリアの先行きは自分でも分かる。そして、その職業をあと10年、20年と続けた先の姿も想像できる。
それだけではない。何より「資産形成」で歴然たる結果がでている。年収に関係なく、身の丈にあった倹約生活を送ってきた子ナシの中年は、いわゆるFIREしても困らない程度の貯蓄はあるだろう。
身の丈に合わない散財を続けてきた目先思考の近視眼の輩は、ある程度の年収があっても、貯蓄は雀の涙ほど。酷い場合は、住宅ローン(=借金)背負っており自由なんて影も形もない、なんてこともあるだろう。
最も不自由で雁字搦めでデタラメなのが、散財と奔放と欲望の日々を生き、気がついたら多額の借金(住宅ローン)と、働かないロクでもない配偶者と多すぎる子どもを抱えているような連中だろう。
(自ら望んで計画的にそうしている人は別として)己の散財奔放欲望の結果、借金を背負い、配偶者を背負い、子どもを背負い。金融機関と住宅会社、文句だけ言う働かないパートナー、金喰い虫の子に人生を喰われていく者達。
若いころから戦略的に物事を眺め、それなりに挑戦や行動して、工夫と努力、そして身の丈に合った倹約生活を送ってきた人間は、中年になったら、それなりの職業経歴や国家資格を持ち、仕事を辞めても困らない程度の資産形成ができている。
結局のところ
子どもの頃に誰でも耳にしたことがある有名な「アリとキリギリス」のお話から学べた人は中年時点で成功者(自由人)になっている、大事な話を聞かせてもらっても学べない愚か者は凍える中年になっている。
自己責任でしかないよね、という話。それだけのこと。。