「みのたけ」の 教育・投資・生活etc

みのたけ中年の趣味用雑記メモ(非収益化ブログ)。倹約と投資で労働から卒業した隠居生活者。投資歴は20年ほど。

他責ばかりで逃げ癖ついてる人たち

 

 

「文句を言うのは構わない、しかし、己の人生に対して言い訳ばかりして "逃げ癖" がついている人間はダメ」

 

 

※人生、時と場合によっては逃げることもナシではないと思う。しかし、逃げてばかりの人は絶対的にダメ

 

※文句(建設的批判)を言うタイプは、コチラ(教育者・経営者)の使い方(技量)によっては、授業内容を深掘りしたり、業務内容を改善したりするキッカケになるので、必ずしも悪い人材ではない。ただし、言い訳ばかりで逃げるだけの人材はどうしようもない

 

 

 

私は、教育を通して小中高と特別支援の世界を眺めてきた。

(今の本業は民間教育)

人に雇われるだけでなく、人を雇う立場も経験してきた。

 

そこで、強く思うのが↓

 

「文句を言うのは許容できるが、言い訳ばかりで逃げてばかりの人間はどうしようもない」

 

と、いうこと。

 

 

 

例えば、日本国内なら「給付金クレ! ベーシックインカムをクレ! 生活を保障しろ、生存権を保障しろ!」「氷河期世代だから就職機会に恵まれなかった、自分の責任ではない!」などと言う輩

 

「お前はウマシカ、アホか!」である。

 

これだけ恵まれ、努力と工夫でなんとかなるだけの機会が与えられている日本国で生まれ育っておいて「他責」か?

 

 

アホか「そんなもんは、お前の自己責任」でしかない。

 

 

※日本国内においても、同情を禁じ得ない人たちがいるのは認めるが、それは本当にごく一部である。むしろ、そういう境遇から努力と工夫、行動と根性で人生を切り開いている方も少なくない事実を見つめるべきと思う。

 

 

 

「他責」して、自分の努力不足、能力不足、行動不足、認識不足などから逃れ「私は悪くない、時代が悪い、政府が悪い、社会が悪い」などと言っている類の人間が社会で活躍できているのを私は見たことがナイ

 

 

つまり

他責と逃げ癖の人間は社会の役に立たない

 

 

 

グダグダ言わずに、努力しろ!行動しろ!工夫しろ!

甘ったれたこと言ってるなら、途上国か紛争地帯に無一文、裸一貫で放り込むぞ!

 

ばかたれ!

 

である。

 

 

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Ignorance is our natural state, and knowledge is acquired only by conjecture and refutation.

だからこそ議論に価値があるが、「自分の言葉」で説明できない輩と議論する価値はない。なぜなら、彼・彼女らの頭の中は空っぽで、議論するための推論も反駁も生じないから。

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自己責任じゃボケ!

甘えたことぬかすなハゲ!

現実は弱肉強食じゃトラ!

これだけ恵まれた日本国に生まれ育って、なにを文句たれとんねん、このウマシカ!

 

と、堂々と子どもにも保護者にも言える教育がしたい&イイですね

 

 

最近の日本社会では「言い訳、逃げ癖人間の他責クレクレ」に対して

 

「そうだよね。それでいいよ。無理しなくていいよ。君は悪くない」など、その場しのぎの口車に乗せようとする輩もいるが、こんなまやかし嘘は「言い訳・逃げ癖の当人」にとっても社会にとってもマイナスだ。

 

 

雇われから隠居したら、趣味でこういう教育がしたいと思っております。

 

あれ?

でも、私は雇われの今でも(よく考えたら昔から)、明らかにズバズバやってる(笑) だから、私のお客さんは、信者的に支持してくれる児童生徒・保護者と、クレーマーと化す保護者に分かれる。

望むところ。目指しているビジネスモデルは「相性の良い児童生徒・保護者に、最大最高の価値を提供すること」。なぜなら、対面教育は「人と人」の関係で成立するサービスであり、「人と人」には絶対的に「相性」というものが存在する。相性が悪いのに無理してサービスを提供し続けること、ならびにサービスを受け続けることは双方にとってデメリットしかない。よって、相性の良い相手に全力投球できる環境を自然と形成していくことが望ましい、と思っています。しかも、雇われは自分の責任はしょせん雇われの範囲、いくらでも冒険実験できるのが素晴らしい ^_^

 

 

ふと、岡本太郎氏の著書「自分の中に毒を持て!」を思い出しました。ずいぶん前、おそらく20代の頃、単行本の古本を買って読んだような気がします。内容は正直忘れましたが(笑) 「生ぬるいこと言ってんじゃねーよ!!」という感じだったような…

 

文庫で最近復刻してるみたいですね ^_^ 控えめに言って名作だったハズ

自分の中に毒を持て<新装版>

自分の中に毒を持て<新装版>

 

 

カエルが鳴いている、ボーナスステージが終わる

 

 

カエルが鳴いている

梅雨なんだな…

 

約3カ月間の

ボーナスステージが終わる

 

新コロおかげで非日常の特別勤務体制が発動したのは3月の頭だった。まだ桜も咲いていないような時期だった。花粉症の私にとってはマスクが欠かせない、そんな仲春のころに、なんだか中国武漢からやってきたコビト19号とやらの影響で、仕事のやり方が大幅に変更された。

 

なつかしい

 

3月は、職場の皆が手探りで、特に執行部の某氏は本当に大変だっただろうと思う。私は何をしていたのか、あまり覚えていないけれど、WEBを使った仕事法に切り替わっていった時期だったハズだ。そういえば、この頃には株価が暴落して仕事よりエンタメ相場が楽しかった。流行語は「サーキットブレーカー!」。

 

4月は、一時的に通常通りの仕事になるかと思ったが、そんなことはなく。完全にWEBを使った仕事ならびにサービスの提供を行うことになった。私も、初めて使うWEBツールで、なんとか幾つかのコンテンツを作成した。桜が咲いていた記憶はあるが、全国的に花見すら「自粛」。「思考停止新コロ脳」の「自粛警察」が日本中を跋扈していた記憶がある。ウマシカいっぱいの日本に憤りと吐き気を覚えた。

 

5月は、ゴールデンウィークである。もちろん私はお出かけだ。妻と仲良く車で外出。自然をいっぱい満喫した。妻は「ジャイアンがいっぱいいる」と言っていた。私もジャイアンの一派らしいが、まだ移動制限があったらしい越境など気にもせず遊びに来た妻もジャイ子であることは言うまでもない。新コロに関しては、結局、池田信夫氏を含め、我々ジャイアン派が正しかったことは言うまでもない。

 

6月は、通常勤務への移行が徐々にはじまった。それまでは主に work from home で約3カ月を過ごしていたが、この月からは出勤前提での仕事になっていった。それでも、通常とは異なる、随分と気楽で、時短の出勤であり、3カ月間でボケた心身を元に戻していくリハビリ期間だったということだろう。

 

さぁ、明日からは通常モードだ

 

もうスギもヒノキも花粉飛散が終わったのに、まだマスクをつけて仕事をしないといけないということに納得しかねるが、それはしかたがない。おそらく、何かしらの花粉が飛んでいるのだろう。いつもの花粉シーズン以上、約9割ほどの人々が、屋外でマスクをつけて歩ているのである。まぁホントに不思議な光景である。

 

カエルが鳴いている、ボーナスステージが終わる

1カ月働いて、また1カ月の休みをいただこう!

 

 

この本を買ったので、夏は日本の島巡りしたいです ^_^

珍島巡礼 (イカロス・ムック)

珍島巡礼 (イカロス・ムック)

  • 発売日: 2013/06/28
  • メディア: ムック
 

 

これも買った。沖縄、行ったことないから、この新コロ海外規制期間だからこそ沖縄を攻めてみたい。でも、逆に日本人観光客で溢れるのかな?

沖縄の島へ全部行ってみたサー

沖縄の島へ全部行ってみたサー

 

 

2020年6月22日 屋外マスクや何やらカンやら

 

 

2020年の22日ですね

数字の並びが良いので何か書いてみます

 

 

週末を利用して今週末も都内にいたわけです

(先週末も都内にいました)

 

そういえば、この土曜日(?)から都道府県をまたぐ移動が緩和ウンヌン? そういうことはよく分かりませんが、確かに先週の移動はかなり久々の長距離移動でした。

 

 

で、都内で思ったこと

 

屋外を歩いている人の8~9割以上の人が「マスクをしている」のです! え、なんで屋外でマスク? 意味不明。屋内や電車やバスの中なら分かりますが、広い空、どこまでも広がる空の下でマスク? 意味あるのそれ?

 

私は屋外ではマスクはしません。だって息苦しいだけですから。健康に悪い。もちろん、店舗など狭い建物の中や、電車やバスの中ではマスクをします。しかし、なぜ屋外でマスク? ホント、意味不明。ファッションなんですかね?

 

 

そういえば、青山や神宮前を歩く機会がありました。観客ナシの曇り空の神宮球場に響くアナウンスやパフォーマンスの音、なんだかとても不思議な感じでした。そして、すぐ近くにある巨大新築マンション 「The Court 神宮外苑」には驚きました。あれはちょっと住んでみたいですね。1番「安い」部屋は50㎡強、1カ月の家賃が38万円位でした。月単位で住めるのならアリですけど、年単位契約ですから諸費用が高く1年間で実質500万以上払って体験する気にはなれないですね。購入だと1億3千万円くらい。勝どきのタワマンよりは良い気がするけれど ^_^

 

www.31sumai.com

 

東京は家賃が高いですからね。個人的には築古の味のある賃貸部屋好きなのですが、耐震基準が1981年前だと、やはり地震が心配ですよね。築浅の賃貸マンションはオートロックや宅配ボックスもあるので、安心便利にお金を払う感じで新築マンションを賃貸で借りるのはアリですね。

 

 

都内も、天気が良くて、体調が良ければ、それなりに楽しいですが、梅雨空シトシト、体調もイマイチだと、楽しさ半減ですね。何より、若くてお金があれば、東京は楽しいでしょう。お金は、いくらあっても足りない街ですね、東京は青天井。ポルシェ、ベンツは当たり前、フェラーリランボルギーニが普通に走っている東京は、田舎の小金持ちにはキツいです(笑

 

 

あと、別件ですが、仕事をね、どうしましょうかね。もうセミリタイアしても良いと思うのですが。今の仕事の待遇が良いので、踏ん切りがつきません。とりあえず、あと1カ月ほど働くと、1カ月ほどの summer vacation を貰えるハズなので、まずはそこまで働きましょうか。新コロ不況でも、ボーナスは通常通り貰えますから。良い職場です ^_^

 

 

※そういえば、電車の中で読んだ村上春樹ラオスにいったい何があるというんですか?(2015年出版)」に登場したアイスランドの疫病対策が、この新コロで気になったので調べてみました。アイスランド、興味深いですが物価が高い&遠いからなぁ…↓


 

個人的に村上春樹のエッセイでは「遠い太鼓」が1番好きです。ダントツに好きです↓

遠い太鼓 (講談社文庫)

遠い太鼓 (講談社文庫)

 

 

↓これは、まぁまぁでした。

 

 ↓「ラオスにいったい」よりは「雨天炎天」の方が面白いですね。

雨天炎天―ギリシャ・トルコ辺境紀行 (新潮文庫)
 

 

 

さてさて

働きますか ^_^

 

 

資産はその人の生き様をうつす

 

「資産はその人の生き様をうつす」

良い言葉だなぁ~ ^_^

 

素晴らしい、金言・箴言・名言!!!

 

 

私も、私の母も人並み以上に資産があります

(父は、かなり稼ぐ人でしたが、資産形成はできない人でした…)

 

 

ケチ? 守銭奴

 

 

ちがいますよ

ぜんぜん違う(ちょっとはあってるかもだけど…笑)

 

 

お金を大事にして」
「みのたけ以下」
で、生きているだけ ^_^

 

 

マトモな資産形成できていない人の多くは


「欲張り」

「見栄張り」

「贅沢しすぎ」

です!!

 

 

※資産家に成るためには、多少お金について知っている必要もあるとは思います

 

 

「資産はその人の生き様をうつす」

本当に素晴らしい言葉

 

「資産額」はもちろん

「資産配分(資産分散内容と比率)」も人を反映しますからね

 

私は攻撃的人間に見られがちですが、資産配分はとっても防御型です(笑

 

そう言えば、今までの人生も、安定した職を辞めて海外留学したり、人生勉強のためにまったく異なる業界を体験してみたり、資格取得のために中年で職を辞したり

 

周りからは「攻めてるなぁ~」と言われることも多かったですが、自分としては「防御のための攻撃」だと考えた上での動きだった気がします

 

コントロールができるのは倹約のみ

 

 

↓この本が良いのかどうか分かりませんが、一応はっておきます ^_^

清貧の思想 (文春文庫)

清貧の思想 (文春文庫)

  • 作者:中野 孝次
  • 発売日: 1996/11/08
  • メディア: 文庫
 

 

キレイゴト言うニセモノ輩たち

 

 

私は綺麗ごとが嫌いだ

綺麗ごとを言う輩がとても嫌いだ

 

 

なぜか?

なぜなら

綺麗ごと人はニセモノだから

 

 

 

綺麗ごと言う輩に、こう言えばよい

「じゃあ、君が死ねば?」

 

その綺麗ごと人が生きているだけで、世界の1人分の食料やエネルギーを消費している。だから、綺麗ごと言うなら死ねばいい。そしたら、その浮いた1人分の食糧とエネルギーを他者が利用できる可能性がある

 

無理かね

ほうほう

 

 

では

「さっさと全財産寄付しなさい」

 

なぜ、綺麗ごと言ってるのに自分の分だけは確保してるの? 安全地帯で何の犠牲も払わずに上辺の言葉だけでヤレヤレ言ってる者は軽蔑の対象でしかない。

 

 

もう1つ尋ねてみたらよい

「君の子どもを殺したら、他人の子どもが助かります。自分の子を殺して、他人の子を助けるんですよね?」

 

できないのかい? そしたら、結局自分と自分の周りがカワイイだけでしょ。何を綺麗ごと言ってるんだ。突き詰めて考えることもせず、上っ面の耳触りの良いことを言ってるだけか。ばかばかしい。

 

 

 

だから

綺麗ごとを言う輩はニセモノである

 

つまり

偽善者という奴だ

 

 

 

もう1つ別の見方がある

私は人生において、実際に時間を共有した人の中でホンモノと感じた人が2人いる。そして、ホンモノなのかもしれないと感じる友人も2人いる

 

 

ただし

そのホンモノ2人は綺麗ごとを言わなかった

 

本物は「言葉ではなく行動で語る」

 

ホンモノは生きざまから信念が伝わってきた

友人2人も、言葉より行動で示している

 

 

つまり

綺麗ごとを「言う」連中というのはニセモノだということ

 

本物は「言葉を発するのではなく行動している」

 

 

このような理由から

綺麗ごとを言うニセモノ輩がとても嫌いです

 

 

綺麗ごと反対!(笑) ^_^

 

新コロ動乱で気づいたことや得たもの(投資・お金・時間・仕事・運動・食事・旅行)

 

 

2020年1月前後からはじまった新型コロナ騒動

 

そこで気づいたことや、得たものがあるので記録しておきたい

 

 

・新コロの収穫の1つは、急落暴落時におけるツイートやブログ内容で「エセ投資家とホンモノ投資家が明確になった」ということ。暴落という有事において、その人物の発する情報を眺めると、どのような投資家か(エセかどうか)は非常に分かりやすかった。特に、新コロ前のイケイケ相場と新コロ急落暴落でツイートやブログの投資情報が豹変した輩(特に「株式投資最高!レバレッジが正義!」などと言っていた輩)は本当に気持ち悪かった。結果、Twitterのフォローを整理できたので、TLにあらわれる莫迦ツイートに突っ込みたくなることが少なくなった(そういう情報を出すエセはフォローを外し&ブロックした)。ウマシカ情報垂れ流しエセ投資家は情報公害だと、つくづく感じる。

 

 

・株クラで偉そうなこと言ってる株ブロガーの9割ほどには価値を感じない。半年前、誰が新型コロナを予見した? NO、だれも予見していない。そもそも、そんなことできるわけがない。「誰も短期の相場を正確に見通すことなどできない」アドセンスアフィリエイトの小銭稼ぎブロガー達は無視して自分のルールを確立して長期投資を行えばよい。急落暴落のエンタメ相場は十分に楽しませてもらいましたが、投資自体は長期運用方針に従いリバランスを淡々とやっているので、2020投資分だけで+20%弱(10年以上のトータルだと2倍前後)。特に、新コロ暴落リバランスからの急上昇は異常で、こんな短期間のリバランス分だけで含み益4ケタが見えてきたのは正直かなり気持ち悪い。個人的には、よい相場だとは感じられません。

 

 

私が思うのは

「投資は忍耐、味方は時間」

「市場の短期の値動きは誰にも分からない」

 

 

エリスの言葉を借りると

◆株価の短期変動の大部分は無視すべき雑音

◆長期投資家にとって短期リスクは心配無用

◆長期的に証券投資で成功していくためには、短期的損失は避けられない

◆運用においては、長期では驚くようなことはないが、短期では驚きの連続

◆長期投資においては短期的な株価変動のリスクは自動的に消える、持ち続けている限り株価変動は関係がない

 

詳しくはチャールズ・エリス「敗者のゲーム」


 

 

私は「夜型人間」なのだと改めて実感。今も深夜3時58分ですが… ほっとくと、いくらでも夜更かしできてしまう、夜眠らないのは我慢できてしまう。そのかわり、朝早く起きるというのは極めて苦手… これは体質的なものだと思うので、仕方がないが、良くないと思います。

 

 

仕事について改めて見つめ直す機会。というか、本格的な仕事から3カ月ほども離れたのは久しぶり。実は、まだ現場復帰していないので、正直、復帰後に通常運転に戻れるか… 通常でも年2回の長期休暇(3~4週間×2回)はあるが、それでも現場を離れるのは1カ月弱なので、ここまで呆けることはないのです。流石に3カ月は、大学生の春休みより長い…苦笑

 

 

・仕事を辞めても構わないだけの資産があるので、前々から「じゃあ仕事辞めたら?」と妻に言われることがあります。今回、これだけ現場を離れると「辞めようかな」と思ってしまう。ただ、毎回の長期休暇後も、現場に戻ると楽しいので、仕事は仕事で面白く、待遇(労働条件・労働環境)がかなり良いという点もあり、なかなか辞めるという決心には至りません。もともと仕事は半分趣味でやっている人間で、趣味的に感じられないと働けない人間でもあるので、今回の新コロ騒動からの復帰後、自分が職場で何を感じる。それ次第で、今年度でのセミリタイアとなるか、まだしばらく働かせてもらうのか、決めることになりそうな気がしています。でも、お金はいくらあっても困るものではないですからね(笑)

 

 

・ただ、命、人生は有限であるので、お金をいくら貯めても死んでしまっては意味がない。やはり、お金様を大事にしつつ有効に使うこと、人生を楽しむためにお金様を活用することは大事だと思う。命・人生の有限性は、お金に限らず「残り時間」を意識して生きることの大事さを新コロ動乱で改めて感じました。

 

 

・人間社会の過剰反応のせいで、過剰な自粛をさせられ、適度な運動と適切な食事から離れがちになってしまった自分がいました。意識して散歩をしてみたりすると、いつもは見えていなかった世界が見えたり、新たな気づきがあったりと、改めて散歩っていいなと思いまいました。食事は… 我が家は妻と私が完全自主独立型生活を送っているので、私の自粛期間食生活はテキトーかつ食べたいモノを不規則(特に深夜)に食べるというよろしくないものになりました。たまに頂く妻の手料理は美味しく健康的でしたので、この完全自主独立型の夫婦生活の見直しも必要なのかもしれないと感じたりしました。

 

 

・あと、本当に「ヤブ医者、無責任医者」というが存在すことが体験を通して分かったのでセカンドオピニオン」をもらうことの重要性を再確認しました。別件ですが、新コロ自粛の不規則不健康生活の結果、右下の親不知が虫歯になってしまいました…苦笑

 

 

 

そんなこんなの意味不明、新コロ禍における動乱騒動でしたが、下記書籍を買いましたので、新コロが落ち着いたら旅に出たいと思っています ^_^

 ↓

珍島巡礼 (イカロス・ムック)

珍島巡礼 (イカロス・ムック)

  • 発売日: 2013/06/28
  • メディア: ムック
 

 

教科書で有名な「東京書籍」の本なんですね… 文章の字がとても細かいです(苦笑)

沖縄の島へ全部行ってみたサー

沖縄の島へ全部行ってみたサー

 

 

 

個人的には「青ヶ島」と「悪石島のボゼ」に行ってみたい見てみたいです。「南北大東島」も気になりますね。そもそも沖縄へ行ったことない(笑

 

 

私の考え

「過去(歴史)おおいに学ぶべき」

ただし 

「過去は未来をうつす鏡ではない」

 

選択死という選択肢

 

 

10代の頃から、ずっと考えていること

 

それは「選択死」という制度を国家が整備すべきだということ

 

 

日本国における自殺者数は2万人強で推移しているが

 

生きることに興味を持っていない人、死ねないから生きている人は、自殺者の数倍から数十倍いるハズだと私は感じている

 

 

「死にたい」けど

「痛いとか苦しいのがヤダ」から「死ねない」

 

老若男女問わず、そういう人は多いだろう

 

 

無気力に「ただ生きている」状態であること、私はそれを否定しない

 

しかし、無理して生きているというのは

その個人にとっても国家・社会にとっても喜ばしい状態ではない

 

 

既に亡くなった祖母は、晩年、病気の治療による副作用のせいで体が不自由で「もういい、そんな長生きしなくていい。いつ死んでもいい」と言っていた

 

高齢者や重い病気を抱えている人の中には「死ねるなら死にたい」という思いを持つ人も少なくないだろう

 

実際、私も若い頃に入院手術の経験があり、そのときに「こんなおもいをするくらいなら、痛くなく苦しくもなく、さっさと死にたい。全身麻酔かけてもらってる状態で、そのまま逝かせてほしい」と思ったし、今でも時々そう思う

 

 

だから

 

国家が「選択死」を制度として整備すべきだと思う

 

これは「希望の選択肢」

 

 

〇公的かつ専門的な手続きと機関で、痛くも苦しくもなく気持ちよく幸せに死ねる「しくみ」を構築

 

一方、悪用されないように縛りとして

 

・過去に凶悪犯罪歴がある者は「選択死」を一生利用できない

 

・保険金犯罪に悪用されないように「選択死」利用の場合は死亡保険が適用されない

 

・未成年のうちは「選択死」の利用は原則できない(特例を除く)

 

など、各種の規定を設け慎重な制度設計が必要にはなると思う

 

 

だが

 

うまく制度設計すれば、この「選択死制度」は絶対に人間世界をより良く変えるパラダイムシフトになる

 

 

なぜなら

 

 

「死にたい人は、痛くも苦しくもなく死ぬことができる」

(無理して生きなくても良い)

 

と、同時に

 

「生きたい人は、より生きやすくなる」

(無理して生きている人の分まで分担させられている不要な社会負担を押し付けられなくなる)

 

 

このように

まっとうに生きている人すべてにとって益になる制度

 

それが、私が提唱する「選択死」

 

 

 

生きたい人が生きる

死にたい人は死ねる

 

 

そんなステキな社会づくりのために

「選択死」の公的制度が必要

 

 

 ※少なくとも「長寿至上主義」&「生きること強制」が「当たり前(常識)」という前提で社会が動いていることに疑問を持つ必要性は大いにあると思います

 

 

私は20年間以上「選択死」の公的制度化について考えています。この制度が公に整備されたら利用したい者の1人