「みのたけ」の 教育・投資・生活etc

みのたけ中年の趣味用雑記メモ(非収益化ブログ)。倹約と投資で労働から卒業した隠居生活者。投資歴は20年ほど。

「今を生きる」こと、目の前しか見ることができない人たち、アリとキリギリス

 

つくづく分かったのは、目の前しか見ることができない人たちというのは、教えてあげても訓練しても、基本的に眼前思考しかできない。その上で、今を生きている。

 

逆に、自分も含め長期逆算思考のタイプは、誰に教わるでもなく生来の思考パターンとして、良くも悪くも長期視野で世界世間を眺めている。その上で、今を生きている。

 

アリとキリギリスは、どちらも「最適解」を選択しながら「今を生きている」。ただし、眼前にぶら下がった安易で甘い最適解は、快適で安心な将来につながる最適解とは往々にして異なるということだろう。

 

誤解されがちだけれど大事なことは、眼前思考者だけでなく、私を含めた長期逆算思考者も「今を生きている」という点。

 

昨日、ジムの帰りに街を歩きながら、自分の生きてきた約半世紀ほど、その周りにいた人達の選択と人生、社会に起こった出来事。マスゴミ、広告、政治家、インフルエンサーなどによって発熱と沈静を繰り返してきた衆愚マジョリティなどを振り返りながら、そう思いました。

 

 

「新コロ怖い!!」「国民全員PCR検査しろ!」「ワクチン打ってない人は許可しません!」「マスクしていない人は入室できません!」「陰性証明を出してください!」と騒ぎまくっていた、あの差別主義者達、大馬鹿達はどこへいったのか?

 

新コロウイルスは当時と比べても対して弱毒化してないし、新コロワクも変わらず接種できるらしいけど、ちゃんと打ち続けているのか?

 

おそらく、わずか1〜3年ほど前のことすらスッカリ忘れ、また得意の眼前思考を繰り返しているのだろう。

 

「放射能放射能!」「東北、絆!」「政権交代マニフェスト!」「構造改革ニッポン!」「阪神震災、地下鉄サ○ン」「貸し剥がし」「イラク戦争」「ジュリアナ、お立ち台、Tバック」「NYに行きたいか!?」「アッシー、メッシー」「不動産神話、株バブル」「Japan as Number One」。眼前思考のマジョリティ衆愚とパンとサーカス。

 

 

apapoyo.hatenablog.jp

 

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20代にしておいて良かったこと(四半世紀前の記憶…)

 

20代にしておいて良かった

 

・勇気を出して行動にまでつなげ、様々なことに挑戦して良かった。

 

・地元から離れて良かった。

 

・テレビを捨てて良かった。

 

・バックパッカースタイルで20カ国程を海外1人旅して良かった。

 

・国政から市政まで政治現場を体験して良かった。

 

・長期海外留学して良かった。

 

・2,3業種をフルタイムで経験して良かった。

 

・支店長として現場の全てを任され、数字に責任を持ち、数十人のマネジメントを数年間やって良かった。

 

・10代から続けた節約倹約生活の継続と、蓄えた資金を元手にコツコツ積立投資をはじめて良かった。

 

・働きながら国家資格取得のための勉強を続けて良かった。

 

 

20代の若さ、みなぎる体力気力は貴重なので、挑戦や冒険、全力の活動や努力を若いうちに極力沢山しておいたほうが良いと思う。

 

若い頃の挑戦と努力、体験経験は、後から複利で効いてくる

 

大事なのは、ギャンブル投機的な行動ではなく、努力によって中長期の自己成長つながる投資的な行動を積み重ねていくこと、かな。

 

 

 

投資の成功とテレビ 相も変わらずマスゴミと眼前思考のイナゴ奴隷による衆愚政治のジャパ、もっともっと酷い政治の隣国

 

 

実質賃金の低下・生活費の増加・物価上昇、そして地震。相変わらずマスゴミは、コロナ同様に、無責任で有害な煽りを繰り返しているようで…

 

物価上昇で生活費増加、実質賃金の低下が問題だと言うなら、現実的選択肢として、まず既存の原発を動かして電気代を下げればいい。

 

マスゴミもパヨクも、相変わらず「原資」を無視して「配れ配れ!」「クレクレ!」と叫び続ける

 

現実無視の左思考者の集団はバカの典型。社会へ寄生することだけを強調して、国家社会の力を低下させ財政破綻へ向かわせていく。

 

こうして母国ジャパンは国家規模で停滞の20年から衰退の20年へ突入していくのでした…

 

今の状況は、30年以上前に中学校社会の教科書ですら予測を明示して警鐘が鳴らされていた。

 

しかし、予測通りに少子高齢化が進み続けた一方で、高齢者への過剰福祉と不要な延命が奨励され続けてきた

 

日本は普通選挙制民主主義の国であるから、20年以上前から票田世代優先のバラマキ過剰福祉政策を放置し続けた、主権者である眼前思考の今の現役世代(私たちの世代)が悪い

 

私は若い頃の数年間、「このままでは私たちが中年になる時期(団塊世代が医療福祉の世話になる時期)になると、日本は社会保障費の爆増で身動きがとれなくなる!」とマイクを持って訴えた

 

しかし、旧帝学生含む多数の友人(当時は学生や20代の社会人)からは、「なんとかなるよ」「政治家も官僚もそこまでバカじゃないでしょ」「偉い人たちがうまくやってくれるよ」と危機感のない反応ばかりが返ってきた。

 

あれから四半世紀、答え合わせの時期に入った

 

無償活動であった社会への働きかけと同時並行で、私は資格取得や海外留学などを含む自己研鑽、かなりの節約と投資を続け、中年になった現在は自由な生活をしている。

 

私は若い頃から言いたいことを言って生きてきたけれど、口先だけでなく行動も続けてきた

 

コチラにはなんの見返りも無いのに、わざわざ時間と労力を使って働きかけ教えてあげたにも関わらず、危機感なく眼前の欲望にだけ注力してきた同世代。

 

中年になった現在、彼・彼女らは労働奴隷&社会の奴隷としてラットレースを続けている。

 

政治への関心でも、キャリア形成でも、投資でも、新コロ騒ぎでも、何事も同じ

 

自分で考え行動することを放棄して、空気に従って生きることしかできない眼前思考の社会的奴隷が大半であるにも関わらず、制限もなく1人1票の参政権を持たせている普通選挙制民主主義という衆愚政治制度社会

 

マジョリティの愚かさはどうしようもないもので眼前思考者(=マジョリティ)に働きかけることはアホらしく無駄だった

 

新コロ&ワクチン騒ぎで、前々から感じてはいたマジョリティの愚かさについて“確信”できたことは、人生における大収穫

 

さて、そろそろ春が来るので数ヶ月間の海外旅行へ行ってリフレッシュしてこよう☺️☺️

 

 

※昨日、ジムで流れているテレビを見て改めて、テレビはマスゴミの中でもゴミ中のゴミと感じた。テレビは、見ている人間をひたすら愚かな眼前思考の空気人間へと強化していく洗脳装置。未だにテレビを見てる思考停止の典型者は早々にテレビを捨てるべき20数年前、まだネット社会でもなかった若い頃にテレビを捨てたことは、私が投資で成功できた要因の1つかもしれない

 

 

株価? 最近気にしてませんが、気づけば増えてますね。ゆっくりと富を蓄え積み重ねて生きましょう😊😊

"The stock market is a device for transferring money from the impatient to the patient." 

- Warren Buffett

 

 

※ジャパより酷すぎる隣国チャイに行く気は、当然無いので、もっと南か、もっともっともっと西の東あたりに行こうかな

年明け早々金融危機に襲われた中国経済

増田 悦佐

https://agora-web.jp/archives/240109011210.html

 

2023、2024年末年始

 

 

この年末年始は、なかなか充実していた。

 

年末は妻と南方を5泊6日、その足で妻の実家に泊り。

 

私の実家の方では、コロナを気にしていた親族も、流石にバカだったと目覚め帰省。

 

10年以上ぶりに餅つきを行い、臼元をいただく。

 

年末が正月のように魚介や牛肉、ジビエ料理なんかもしたりして宴。

 

年始は辰年に合った神社へ、父と初詣。

 

黄金の輝きを眺めたり、異国の通貨を持ってきたり。

 

旧友と10年ぶりに再会して新年会、友人の子どもがすでに大きい。

 

妻と神社仏閣を巡る年始の街歩きを行って、賜った材料で料理。

 

良き年末年始

 

ありがとうございます

幸せは日常の内に、冒険は外の非日常に

 

 

FIRE暮らしは、老後生活と似ているのだと思う。

 

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私は年齢的に働き盛りの中年男性だけれど、ここ2年は隠居生活を送っているので、日常(特に日中)に出会う人は定年退職後の前期高齢者=老後生活者が多い。

 

昼間のエクササイズ・ジムにいるのは大半が老後生活中の高齢者、他は有閑マダムと学生さんが少々。平日の観光地も高齢者ばかりで、外出先のショッピングセンターなどでも、日中のお客さんは高齢者が目立つ。

 

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先週、住まいから高速道路をトバして実家に帰省。ド田舎で働き盛りの男性が昼間にブラブラしていると、街なかとは比較にならないほど非常に目立つ。そう言っても、集落内での評判や噂話などを気にしていては満喫できないので、気にせず愛犬の散歩で田舎の自然を眺めた。

 

(しかし、何やら目の中がゴロゴロイガイガと花粉症のような症状… ついに私も春だけでなく秋の花粉症も発症したのか…)

 

故郷の見慣れた自然風景の中、幸い存命である両親と畑や庭で時間を過ごす。鳥のさえずりが聞こえ、紅葉が青い空に眩しい。日が昇って輝き、山に向かって夕陽の光景をつくりだす。秋から冬に移り変わっていく田舎の自然。

 

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20代は、バックパック1つ背負って海外の発展途上国や多少危険を伴う国や場所を旅してまわったり、いくつかの国に住んだり、そのまま他国で就職する道に行きかけたり。

 

30代は同僚の半数ほどが外国籍、社内共通語が英語、日系とはまったく異なるメリハリのある労働条件、異文化間での齟齬やイザコザ、摺合せと話し合い、外資ノリの雇われ生活だった。

 

様々な国、地域、文化、人種、民族、異なる社会、「当たり前」が違う生活。それらを思い返すと、日本とは色々な点で異なりエキサイティングで、時にスリリングな非日常における冒険の時間だった。

 

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一方、この2年間の母国日本での隠居生活(FIRE暮らし)は、慣れた国、慣れた文化、慣れた人、慣れた地域で、ノンビリと過ごし、マッタリとした時間を送ってきた。もう丸2年も日常の幸せを追求満喫するコノ暮らしをしてきたんだな。

 

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幸せは日常の内に、冒険は外の非日常に

 

 

スーパー豊か… お花畑と眼前にある商品

 

スーパーへ買い物に行くと「商品棚に品物があふれているなぁ」と、毎回のように驚く(圧倒される)。

 

若いころ、発展途上の国々を旅したり、新興国に住んだり、紛争地域的な場所も訪れたりした。

 

そういう場所の中には、店はあっても品が無いようなところもあった。

 

中年になってから訪れたカリブのある国では、首都の店でも品物が非常に不足していた。

 

青空市場に地元でとれた野菜や果物はあっても、加工品が品薄だったり、まして輸入品は中心地の店であっても在庫が少なかったり完全に品切れだったりしていた。

 

新興国の僻地では、自給自足的な生活を送っていることが多く、旅人が気楽に飲食を楽しめるレストランが無いばかりか、集落唯一の売店でもすぐ食べられるようなモノがほとんど行っておらず旅の食事に困ったこともあった。

 

その点、日本ではコンビニが無いような離島に行っても、共同販売所のような店でしっかりと加工品(カップラーメンや菓子パンなど)が売っており、買い物に困ることはなかった。

 

何より、本土であれば、どこのスーパーに入っても大抵素晴らしい品揃えで、様々な加工品が所狭しと陳列してあるだけでなく、店内調理の食べ物も充実している。

 

しかも日本は安い。

 

日本の最低賃金は時給1000円ほどだが、1000円出せばそれなりの食べ物1食分を買うことができるだけでなく外食でお腹を満足させることもできる。

 

わずか1時間働くだけで満足のいく1回の食事ができるというのは凄いことだと思う。

 

このような豊かな日本、労働賃金も悪くない日本。

 

どれだけの人が「現在のこの豊かさ」を本当の意味で理解しているのだろう?

 

おそらく1割いないだろう。

 

そして、日本はここから貧しくなっていく。

 

ウマシカで平和ボケな日本人マジョリティが「現在のこの豊かさ」に気づくのは、いつになるか。

 

新コロ馬鹿騒ぎと同じで、現在進行系で分かる人、気づける人は少ない。

 

愚かな普通選挙制民主主義という社会形態に苦笑。

 

ウマシカが多すぎるのに、全員に等しく参政権が与えられているというのは本当に愚かすぎる。

 

20年以上前から警鐘が鳴らされてきた社会保障の高齢者への過剰偏重や道路トンネル上水道などの社会インフラの老朽化問題。

 

マジョリティが意識し始める(マスゴミやSNSで継続的な話題にのぼり続ける)までにかかったのは20〜30年ほどか。

 

このような眼前思考マジョリティによる近視眼ポピュリズム政治に行き着くしかない政治制度で運営されている社会は傾き衰え貧しくなっていくしかない。

 

豊かなのに豊かさに気づけず目を向けず「クレクレ!」しか考えない愚かでお花畑なマジョリティによるウマシカ普通選挙制民主主義。

 

まだ今日の日本はスーパー豊かだ…

 

 

※分かりやすい人口推移グラフサイト

https://jp.gdfreak.com/public/detail/jp010050000001000000/1

 

 

気がつくと5年ブログ

 

 

このブログを書き始めてから5年が経過した。

 

自分の読者登録者を古い人から50人で調べてみたら、今でも(5年以上前から)継続的にブログを書き続けているのは7人だけ。

 

5年間のブログ継続率が15%程度。一方、4分の1くらいの人はブログページそのものが消えていた。

 

書くことは、継続しづらいのだろうか?

 

私は、デジタルメモ(このブログ)とは別に、25年間ほどアナログのメモ(いわゆる手帳日記)を書き続けているけれど、継続が難しいと感じたことはない。

 

むしろ、書くことをやめることのほうが難しい。

 

はてなブログの場合、かなりの割合の書き手が「不労所得を稼ぎたい!」などと考え、有料のはてなプロでブログを始めているようだ。

 

で、そういう収益目的、お金儲けしたい的な思考者に限って続いていない。

 

私は、5年間ずっと無料はてなブログの利用で、自分が書きたいこと、メモしておきたいことを気ままに書き続けている。

 

アナログの紙とペンの日記と異なり、デジタルのブログは便利だ。

 

手書きは手が疲れるし、思考速度より筆記速度が遅いのでバランスが悪い。

 

デジタルは、書き直しや修正も楽、改行の位置や文章全体の構成を組み直すのも楽、過去に自分が書いた内容をキーワード検索で探すことができるのも素晴らしい。

 

メモしておきたいWEB記事のアドレスを貼り付けておけるのがとっても便利。

 

はてなブログは、PC版は使いやすいが、モバイル版はどこでも使える便利さはあるけれどPC版と比べると機能制限が多く改良してほしい。

 

でも、これだけ使いやすい日記帳(ブログ)を無料で5年間も使わせてもらっているので感謝。

 

株式会社はてなは、業績も芳しくなく、株価も冴えないが、なんとかこれからも末永くブログの運営を続けてほしいと思う。。

 

※それにしても一気に冬が来たな@日本