私は来年度の隠居に備えて「脳内隠居訓練生活」を送っているが、これホント「暇すぎて〇にそう」という表現が…。確かに、今日のように素晴らしい天気と風にそよぐ草花の美しさとかクッキリハッキリと感じられてよいですが。
やっぱり、やることなくて「時間を持て余す」というのが自分の性分…。で、視覚情報中毒だからネットサーフィンに陥る。
家の資産で一生食べていけることが分かり、親からそうしても良いとの許可が既に出ていた30代前半の頃、私の2度目の隠居生活となったとき、「やっぱり働きたい!」と強く感じ現世(現役)に復帰しました。
30代は年齢的に若く、幸い使える資格と経歴があり、私は運が良いので、好待遇の職場で働く機会を得たのでしたが、いよいよ飽きてきてしまった。
資金的には、親に頼らずとも自分の分は自分で賄える程度に資産形成できたので、何も憚られることはないと思うのですが。中年おじさんプラプラは世間的に不思議な存在だろうし、自分としても変な感じがしないでもない。
趣味が多い人なら早期隠居というのは素晴らしいことなのだろうけど、どっちかというと「仕事が趣味」みたいなタイプなので、仕事のない人生をあと半分過ごすというのができるのだろうか?
数少ない趣味の1つが「旅」なのだけれど、新コロにゃんが世界でも日本でも「自由を阻害」している。旅のできない隠居生活なんて、カツがのっていないカツ丼のようなものだ。
資産形成途上の妻(ウチは完全別財布)にはしばらく働き続けてもらい、私は妻の扶養に入る予定なので、仕事三昧の妻と遊ぶということも週末程度になる。ウチは子どもがいないので、子育てに時間を使うということも現状ない。
何より、大きな問題だと思うのは、「有閑小金持ち中年オジサン+既婚子ナシ」というのは社会的に1%以下の少数派だと思うので、誰かと一緒に遊んだり旅したりする楽しみもほぼないということ。
「そんなのネットでセミリタイア小金持ちオジサン見つければいいじゃない、いますよ」なんていう人がいるかもしれないが、マトモな小金持ちは、自分が小金持ちであることを知っている赤の他人とリアルで素性開示して会うという行動は普通しないだろうし、私はしたくない。
となると、遊び友達候補は、昔からの友人で社長業やってる連中になるだろうが、正直そんなに儲かってない人が多い、儲かっている人は結構忙しい。雇われの人達は、たとえ大手優良企業勤務者でも日本の労働者はやたら忙しく、しかもそういう中年男は大半が既婚者子持ちなので家族優先で遊べない。
考えらえるのは「偽善ボランティア行脚」。これはアリだと思っていて、そこらのスタディツアーにお金払いピチピチの学生さん(男女)と一緒に途上国へ行って偽善している自分に酔うというのは楽しそう。しかし、これも新コロが収まらないとできない。
これを書きながら思ったのは「国内でボランティア”先”を探す旅」なんてのは隠居生活で面白そうだ。旅もできるし偽善も味わえる。なるほど、少々有名なボランティアおじさんがチラホラいるが、そういう背景か。
あとは、10代の頃からずっとメモ魔(記録欲)なので、今のようにやたらめったら書きまくって残していくという作業をする可能性もある。しかし、過去の体験から、記録やりだすと異常な次元までいく(毎日の全行動&全言動の記録をとりだす)ので、極力メモは最小限にしたい。
大学ノートに手書きしていた10代の頃とは違い、今はスマホやPCタイプで無限に書けること、消しゴムを使わず再度書く必要もなく自分の文章を校閲編集できること。ネット上にある情報をアドレス入力や画像添付などで無限に利用できること。やりはじめたらキリがないことはブログで体験済み。
やりはじめると、何もかも書き残したくなり、写真や映像も全部残しておきたくなる。そして気が済むまで何度も校閲訂正と編集したくなる、という病的な気質(アスぺだからだと思う)が顕在化すると自分としてもメンドクサイので、書くことは極力控えたい。
で、隠居して、何をしたらいいんだ??
自由とは孤独か…
※付記
1人、フリーのライターしてる友がいるから、しばしば彼と食べ歩くのはアリだと思う。雇われマスコミ記者は何人もリアル友がいるが、あの仕事は忙しすぎるし籠の中の鳥なので遊べない。
あ、趣味と特性を生かして暇つぶしに使えそうなフリーの仕事があった! やはりアウトプットすると思考と行動がつながりますね!
※追記
自由になったら自由の楽しさに飽きそうなのよね…。人間の大半は、不満も呑み込みながら、その中の小さい幸せを見つけて生きているのだと思う。。
人生の幸せってのは
「何かに夢中になれているかどうか」
な気がしないでもない