私は、年齢的には、まだ中年だと思います。
しかし、2年ほど前に仕事を卒業して隠居(いわゆる完全FIRE)状態に入ったので、日本社会における老後のような生活をしているのかもしれません。
世間は今日から3連休らしいですが、私はもう700連休(?)を超えているような。。
だから何、ということもないのですが。
特に不満もありません。
振り返ってみると、妻と父母との時間を多く持てるようになったことが幸せです。
前職は、非常に恵まれた労働環境で、仕事内容も好きな業界だったのですが、コロナで考えました。
「このままでよいのか?」
お金は、子どもの頃から倹約節約で貯蓄、若いころから投資をしていたので、その時点(2年前)で蓄えも投資益もそれなりにあり、隠居しても良い状態と考えていました。
しかし、恵まれた職、毎月安定したそれなりの給与、毎年2度の結構な額の賞与、年に2度の vacation(3~4週間の休暇) がある外資ノリというのは捨てがたいものがあり、やや惰性で仕事を続けていました。
ですが、コロナで仕事がつまらなくなりました。リモートで行う仕事にライブ感はなく、私がやりたい(やっていた)面白いと思える、ワクワクが感じられる仕事の手法ができなくなり、仕事における私なりの発展方向が見えなくなりました。
「お金のために働く必要はないのだから、何のために時間を使うべきか?」
そう考えた際、頭に浮かんだのは両親のことでした。
10代の私は問題児でしたので、かなり親に心配と苦労をかけました。高校で随分やらかし続け、一時は家出もしており、母だけでなく父まで学校に呼び出されることもありました。大学進学後も、前例のなかった国(提携外大学)への留学認定を所属の学部長&副学部長への直談判交渉で取りつけ、マイナー国に突然の留学を決めたり。20代はそれなりに働き、転職して国家資格を生かした公務員的な仕事もしていましたが、思い立って30代でまた海外で学び直しをやってみたり。その後、40代前後で高待遇の仕事に落ち着いていたハズだったのですが…(笑)
親からすると「また突拍子もないことをしている子(長男)だなぁ…」と呆れつつ、私をあたたかく見守り続けてくれました。
そんな両親も、もういい年齢になり、そしてコロナとなりました。
「帰ろう」
そう思い、仕事を卒業して自遊人になりました。
あれから2年。
離れて暮らしていた頃の10倍は両親と時間を共有できるようになりました。
そして、フルタイムで働いている妻が私に合わせて仕事を調整(転居にも同意)してくれたこともあり、共働きだった頃より何倍も一緒に時間を過ごせるようになりました(今の私は妻の被扶養者)。
この2年を振り返ると、両親と妻と共有できる時間が圧倒的に増えたことが私にとっての幸せの源泉だと思います。
そして、それは仕事を卒業しようと思った第1の理由(ターゲット)でもありましたので、良き選択をしたと感じております。
さて、ではこの700連休の続き、何をして過ごして生きましょう??