「高学歴=賢い」ではない
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これは世間でも言われているが、自分の周りの超高学歴者や高学歴ではない人達を眺めていても感じる。
「賢さ」の指標となる1つは「大まかな合理的思考」だと私は思う
「大まかな合理的思考=大局的視野からのコスパ・枝葉末節に囚われない俯瞰からの思考」
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これが自然体でできる人は、高学歴であろうが低学歴であろうが賢い。
一方、高学歴者にありがちなのが、目先の細かな数字や一見すると高尚そうな理論、思想や哲学を弄り回しているだけの「単なる近視眼な非効率的思考や判断」。
もう1つ大事だと思う賢いポイントは「埋没費用を自覚しつつ、損切りできるかどうか」
この埋没費用や損切りは、直接金銭的な指標でない場合もある。例えば、恋愛における愛情や時間など、自分が人生で何かに対して費やした感情を含めた様々なものが含まれる。
それらを「自覚して言語化(客観視)した上で、損切りできる人」は賢い。そうでないなら、高学歴であろうがウマシカだろう。
最近の事例だと、新コロの自粛やワクチンに対する各自のポジション取りと、その後の変容も当てはまるだろう。
もちろん、投資はお金で数値化されるので、上記の「大まかな合理的思考」と「埋没費用を自覚しつつ損切りできるか」が非常に分かりやすい活動だと思う。
ごちそうさまでした。
ありがとうございます。