『クリティカルシンキングとは、権威を疑うこと』
ここでいう「権威」とは何か?
分かりやすく表現すると「誰が言っているか」。
つまり「権威を疑え」=「誰が言っているかではなく、何を言っているかを分析しよう」ということ。
「テレビが〜、芸能人が〜」は論外だけれど、歴史を眺めれば「政治家、官僚、学者、新聞などの権威者の大失態(失言ではなく政策的大敗)」も枚挙にいとまがない。
だから、「〇〇が言っているから=誰が言っている」ではなく、「比較、割合、推移などに気をつけて、こういうデータがある」と自分で調べて考えて判断することを心がけることが大事だと改めて感じた。
今は昔と異なりネットを使えば我々素人でも世界中の情報にアクセスできるので「“誰が”ではなく“何を”」は、昔とは比較にならないほど容易で素晴らしい社会になっている。
有事になると『正解は1つしかない、異論は認めない社会』
80年経っても『1億総玉砕』の国民性…
俯瞰を欠いた群衆の集団思考って恐ろしい
新コロよりも『人間集団のパニックと熱狂』こそが、もの凄く危険
「皆で”協力”して自粛しましょう!」
「”秩序”を乱す」言動は許さないかのような「"空気"醸成("同調圧力形成")」をすぐにやりだす社会、ホント気持ち悪い
1.太平洋戦争中の「戦争賛美しか許さない!」
と
2.新型コロナ禍中の「自粛に協力しないと許さない!」
この2つは本質的な部分で一緒
それは有事になると
『正解は1つしかない、異論は認めない社会』
もの凄く危険だわ
「寄り添いましょう」「共感が大事」という意見は、パッと見では道徳的に思われるが、寄り添って共感する「対象の選択は恣意的にできる」点に注意しないといけない。
つまり、このような言説を分解して分析すると「自分、もしくは自分が推す対象に肩入れしろ!」という主張と分かる。
つまり、「寄り添い」や「共感」などと言っている場合、突き詰めると「自分達側(自分たちの判断)を特別扱いしろ」ということが大半。
新聞社を含め日本の多くの報道機関は、コレ↑を理解した上で意図的に悪用し続けているので、かなりタチが悪い。