「人生とは○○」のような問いが、今いるゲストハウスで発せられた。
「人生とは死ぬまで生きること」だと個人的には思うのだけれど、これでは面白みのない回答だろうか?
「人生とは?」なんてのは「各自の人生の場面ごとに応えが変わってくる」と思うが、もしかすると「誰と過ごすか」なのかもしれない。
と、曇り空の下、異国情緒漂う公園を1人歩きながら思いました。それにしても風が強い。この街にも飽きてきたので、そろそろ空を翔んで別の場所に移動。
直前まで予定を決めずに過ごしているので、少々航空券がお高いが。時間に縛られるより、お金で選択の自由を買うことにしている。自由を犠牲にするような節約は、もうしない。かと言って、無駄使い散財はしないけれど。
それにしても滑稽なのは「やりたいことだ!夢だ!VISIONだ!世界平和だ!平等だ!解脱だ!」なんてことを若い頃や青年期に言ってた、もしくは中年になった今になって言ってるヤッテル人々。
なんだかんだと大層なことやキレイゴト言っていても、こういう人々も皆けっきょく「お金」という「仕組み」から逃れられてない。これはスピリチュアル系でも宗教系でも同じ。更には、老いてから気づく人もいるようだ。
私は若い頃から言ってきた。「お金は大事だよ」と。私は「今でもお金様は大事」、お金を大事に思っています。でも、同世代の多数とは異なり「お金様に縛られてはいない」。
若い頃どころか子どもの頃から、お金様を大事に意識して生きてきたからか、他の人たちより随分と前に進んでいるようだ。もしくは、お金様に関して、マジョリティの人々と自分は生来の感覚や運が違うのかもしれない。私は、お金様とともに幸せに楽しむ人生みたいだ。
※お金様は「価値保存、価値尺度、交換決済」という素晴らしい機能を有する「超道具」なので素晴らしいに決まっているじゃありませんか!
さて、次の場所にはどんな人達がいるのだろうか?