馴染のショッピングセンターへ行ったら人が多くて驚いた。昼間から子供達がいて違和感。なるほど、今日は土曜日だったようだ。
数日前から1人で帰省しているので、妻の出勤休日で曜日を把握する生活が常の私は、高齢者父母だけしかいない実家だと週末か平日か意識がなかった。
父は会社経営をしていた頃から曜日感覚がなく、盆と正月以外は週末でも出勤していた。今では趣味が農業なので、これまた毎日畑仕事をしている。
ほぼ専業主婦だった母は昔から口癖が「忙しい、忙しい」。実際はそこまで忙しい訳ではなく、作業効率が悪い(最適化の工夫をしない)上に、自分で無駄な仕事を作り出す(ADHD)。老いた今でも変わらずバタバタとしている。
そんな忙しい両親を見て育った自分なのだが、人生において継続的に忙しいと感じたことはない。もちろん、労働者時代の繁忙期は職場で体が足らないと感じることは幾度もあったが、生活全体として忙しさが継続していた記憶はない。
私はスケジュールを詰め込むことが好きではなく、余裕を持った計画をたてることを好む。そして、仕事でも生活でも「作業は面倒くさい、効率化できないかな?」といつも感じ考えてしまう。
だから、職場で取り組み当初が忙しかった場合も、気がつけば作業や仕組みを効率化していて、毎期毎年のように忙しさが継続したという記憶はあまりない。(1職種だけ、その仕事の特殊性故に効率化できなかった→自分に合わないと感じ早々に辞めた)
数回の転職経験で見渡すと、仕組み化、効率化が好きで仕事に追われていない人が数割いる一方、毎度忙しそうにしている同僚もそれなりの数がいたと思う。
いつも忙しい人達は、私の両親と同じで「作業そのものが好き(父)」か「工夫できない&無駄に仕事を作り出す気質(母)」なのだろうと思っている。
どうして、そんなに忙しく働き動くことに耐えられるのか、理解できない。私は基本的に「面倒くさがりだからか、『強いられることの最小化』を追求しがち」。そして、気がつくとノンビリしている(仕組み化で余裕ができている)。
ゴロゴロ生活は良くないと思うので、若い頃は旅をすることが多かったけれど、中年になり旅の体力も意欲も微妙。帰省先である実家にいるとジムに行くこともできない。寝て散歩して、寝て食べて、寝て自然を眺めて寝るような生活…