ちょうど2年前の今ごろ、海外の友人がSNSにシェアしてくれた武漢市の様子から、私は新型コロナウイルスについて早く知ることができました。まだ日本では大半の人が動いていないうちに薬やマスクを確保しました。私は日本人としては早くから友人や職場にウイルスの脅威に関しての情報共有をしましたが、友人だけでなく、多くの日本人(+前職場の外国人)が騒ぎ始めたのは、それから1,2カ月後でした。
その間、私は自分のできる範囲で未知のウイルスによる他国(主に中国・韓国・イタリア)での感染と被害状況について、各国の統計をインターネットで検索したり、海外にいる友人知人やSNSで見つけた現地にいる人とやりとりしながら調べました。その時(2020年3月中下旬ごろ)に出した自分なりの解は「高齢者は危険だが、若者は関係ないようだ。中年の自分は様子を見ながら観察を続けよう」でした。
その後も、アルファ株やデルタ株、そしてワクチン接種について、他国の先行事例と日本の状況を、統計と体験を通じて観察してきました。ワクチンについては「目先では悪くなさそうだが、自分は低リスク中年なので急ぐ必要性が低い」と判断して、まだ接種していません。マスクは、この2年間、人込みや屋内ではしてきましたが、息苦しい、かつ無意味ですので、屋外では花粉の季節以外は着けていません。
投資(資産分散管理)においても「人間集団のパニック(過剰反応)によって実体経済が過大に毀損する懸念はあるが、冷静に眺めれば新型のウイルスそのものはそれほど危険なものとは思えない。アセットアロケーションの管理は強気でよい」と考え、自分の計画と方針に従って、適度にリバランスを行ってきました。
この新コロ2年間、俯瞰できない短期目線の思考停止マジョリティのパニックは非常に迷惑でしたが。個人的には、やれることをやれる範囲で行い、かなり楽しむことができました。ある意味、このコロナ騒動のおかげで「自由な自遊人(FIRE民)になる」と決めることもできました。GoToや地域の得々トラベルは、前職場周辺地域を旅する後押しとなり、とても多くの思い出をつくることができました。
2年前から続けている当然のことですが、世の中に溢れる他のリスクを含めて俯瞰して新コロウイルス禍を観察すると、このウイルスは「高齢者や肥満・喫煙者や持病持ちにとっては危険だが、若者子供にとっては大騒ぎするほどのものではない。中年の自分は様子を見ながら観察を続けよう」と今でも思っています。オミクロン株が出てきて、ますます「ただの風邪」になってきたとも感じます。
ワクチンについても「目先では重症化予防効果は悪くなさそうだが、低リスク中年の自分は接種を急ぐ必要はない」と見解は変わりません。むしろ、ワクチンの効果劣化(喧伝されていたより悪い)と副反応(ADE含む副作用)が明確になりつつあるので、ますます打つ気になれません。
とにかく、全世界(特に自称先進国)において非日常的な社会混乱と情報氾濫をもたらした新型コロナウイルス大騒ぎの2年間は、ある意味では超絶エンタメ期間であったと思えます。社会や世界を俯瞰せず、統計も眺めず、過剰反応で喚いたり煽ったりするマジョリティや社会は非常に煩わしかったです。
しかし、私は自分から行動して調べて考えて決断して生きてきましたので、色々と工夫して楽しめた2年間でした。他人や空気に流されず、自己責任で生きる根性を出した自分にイイネ!
※妻がラジオで「答えのない自由を持つこと。孤独と不安と友達になる」という言葉を耳にして気になったようです。私にとっては、まさにこの2年間を言い表す言葉だと今これを書きながら気づきました。改めて、妻・父母・友人知人、皆様、ありがとうございます!