「みのたけ」の 教育・投資・生活etc

みのたけ中年の趣味用雑記メモ(非収益化ブログ)。倹約と投資で労働から卒業した隠居生活者。投資歴は20年ほど。

子づくり、政治、民主主義?人類 感謝

 

某動画サイトで政治関係の動画を見た。若い頃にリアルで頻繁に関わった有名政治家の話題があり、「彼はそうだよね、分かるなぁ」と妙に懐かしかった。

 

新コロ騒ぎ(=大社会実験&その観察会)で確信を得たのだけれど、日本に限らず人類は眼前思考者&イナゴ羊がマジョリティであるので、普通選挙制民主主義は衆愚政治になる構造欠陥を抱えている。

 

そうだとすると現代日本国は手遅れであり、一度ほぼ壊れるまで再起動は難しそうだ。これは政治=国民の質の問題ではあるだろうが、より俯瞰すると民主主義という制度上不可避の流れであり、構造的に衰退という“周期”にあるだけなのかもしれない。

 

もう四半世紀前、私がまだ20代だった頃に強く危惧して周りに訴えていた通り、今の日本の子供達(私の同世代がつくった子供達)は苦難の時代に生きることを強いられる可能性が高い。

 

私は実子をつくらず、同世代の友人たちにも子づくりをすすめなかったのだが、大半の友人は聞く耳を持たなかった。※単に眼前欲(性欲、所有欲)を先行させた結果である可能性も高いが…

 

この年齢(私も周りも中年、子育て年齢)この時代(日本国の停滞から衰退時代)になり、日本の国家社会の沈下という現実が迫ってから数人の友人に再確認してみた。すると、若い頃に私が訴えていた内容が当時は理解できていなかったようで、今頃になって実感し始めているようだ。

 

同じ前提(日本の衰退)を土台にした投資や資産管理、持家賃貸、子づくり子育てなどの話も私は20代の頃から善意で友人たちに何度も助言していたのだが、あれから四半世紀後の現在、中年で隠居生活を送っているのは私だけなので、想像力の欠如だけでなく理解力不足(知識不足、思考力不足)があるのだろう。

 

最近になり「確かに君は若い頃、日本がこうなる(今の日本の社会経済状況と新興国の発展)という危惧や見通しを時に強く訴えていたね」と数人の友人から言われた。実際、若い頃の私は興味と善意の組み合わせで政治にも関わり、マイクを握って辻立ちなんかもしていたことがある。

 

当時の私の中にあったのは、日本国の人口推移(形の悪い人口ピラミッド)、当時から過剰だと感じられた社会保障制度や人気取りのバラまきを続ける政治状況、中に入り観察した日本の政治実態、発展途上国での長期留学やバックパッカーという異国体験を通して新興各国の発展の勢いを肌で感じていた「来るであろう日本の衰退への危機感」だった。

 

現代日本国という国家形態が残るという前提なら、日本国は良く流れても孫の世代の時代に再起動ができるかどうかではないだろうか。それすらも難しいことで、日本の復興にはいくつかの幸運が必要だろう。

 

しばらく日本はこのまま落ち続けていく可能性が高いと思うけれど、それをどうにかしたいと思うなら各自が「自分がつくった子や孫のために社会に対して何かできることをやっていけば良い」と思う。

 

私は若い頃から社会改善のための活動も、仕事を通しての社会貢献もやってきたという自負はある。そして新コロ騒ぎを通し、マジョリティである近視眼イナゴ羊に啓蒙を行う無意味さを強く痛感、流石にバカバカしい作業であると悟れたので、人生の後半は自分事に集中して生きることを決めた。

 

そして、超長期の視野で眺めれば、日本(国家や国民)だけでなく人類という種そのものもこれまでに繁栄し消えていった数多の動植物種と同じように絶滅することは自明であるのだから、どうでも良いといえばどうでも良い。地球という星ですらいつかは消滅するのだから。

 

このような観点から眺めると政治参加や政治観察は、自分の国籍という駒を盤上に乗せた娯楽といえるのかもしれない。

 

私は、中年までそれなりに豊かで安全な日本という母国で平和に生きさせていただいたので、親と妻と時代と自分の幸運に感謝している。ありがとうございます。